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2006/09/02

■非対称コミュニケーションであることの認識

先日、病院で体験した話です。血液検査の採血場所がいつもかなりの混雑です。
今回も15分ほど待つ時間がありましたが、そこで窓口の受け答えや採血の様子がよく見えます。
作業の進め方はシステム化されており、安心して待っていられます。
採血する人たちはみんな親切そうで、患者と談笑しながら作業をしています。とてもいい感じです。
ここでは患者とのコミュニケーションが重視されているのがよくわかります。受付の対応も親切なのです。
ところが、たまたまある患者が受付に何かを相談したら、受付の人が
「それは医師に訊いてください。ここではそこまでは面倒みられません」
と答える声が聞こえてきました。

「面倒みられません」。
その言葉が、いやに耳に残りました。
質問の相手を間違えたという点で、原因は患者にあると思いますし、受付の人には悪意はなかったのでしょうが、質問した患者にとってはどう受け止められたでしょうか。
「それはここではわからないので、担当の医師にきいてください」
といえば、印象は全く変わったでしょう。
立場が対等でない人あるいは組織のコミュニケーションは、対等な立場の人を前提としたコミュニケーションとは全く異質なものです。

アメリカの大学には、教授と学生の恋愛禁止ルールがあるそうですが、とても納得できます。
日本でも大学は自己ルール化すべきです。
「非対等な主体間のコミュニケーション」は意外と研究が進んでいない分野だと思いますが、
たとえば病院でインフォームド・コンセントを進めるのであれば、この問題は無視できません。
病院側の人と患者の立場は全く対等ではありません。

そもそも実際には、病院に限らず、世の中には対等の人間関係などはほとんど存在しません。
家族においてもそうですし、地域社会においてもそうかもしれません。
にもかかわらず、対等な立場を想定したコミュニケーションが行なわれがちです。
そこで悲劇が発生することも少なくありません。

昨日の朝日新聞に、生活保護の拒否の66%は「違法」の可能性があるという日弁連の調査結果が出ていました。
北九州市での具体的な事例も紹介されていますが、これも非対称コミュニケーションの結果でしょう。
学校での先生と生徒の関係も同じです。
さらに学校と文部科学省の関係にも同じ上下関係が成り立っています。
周りの見回すとそういうことばかりではないでしょうか。
家族の中でも夫婦関係や親子関係は間違いなく非対称であり、不平等構造になっています。

我が家の場合は、不当に父親と夫の地位が低いと私はひがんでいますが、
これもこれまでの非対称コミュニケーションへの私自身の認識不足の結果で、自業自得でしかありません。はい。

ところで、病院の話に戻ります。
受付の人のその一言で、それまで見えていた風景が一変しました。
採血作業の人はこれだけの人が待っているのだから、もっときびきびと作業を進めるべきではないか。
ちょっとのんびりやりすぎているのではないか。
などという気がしてきて、
それまでの好印象が少し曇ってしまいました。

ちょっとした一言が、世界の風景を一変させることがあるのです。
人間とはどこまでも勝手なものです。

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