■平和と戦争は同義語?
平和の結集をめざす市民の風という活動があります。
私もささやかに関わっていますが、もしご存じない方がいたら、そのホームページをぜひご覧ください。
そして、出来れば活動にも参加してください。
個人のつながりの広がりで、党派を超えた平和の風を起こしていきたいという活動です。
いかなる政党活動からも自立しています。
ど真ん中にミュージシャンがいるので、私は安心して参加しています。
彼らが参加しなくなったら、私も脱会すると思いますが、ミュージシャンが考える平和は信頼しやすいです。
バレンボイムのラマラ・コンサートの例を持ち出すこともないでしょう。
ところが党派を超えた個人の集まりというのは、脆さと強さの両方を持っています。
そのネットワークの運営委員のメーリングリストがあるのですが、
そこで2週間前にちょっとした事件が起こりました。
おそらく不注意な人間的ミスによる間違った投稿が、
しかも運営委員ではあるはずのないアドレスから投稿されたのです。
私はよくあるミスだと思っていたのですが、それをめぐる難しい議論が展開されだしました。
そしてだんだん感情的な発言が出始めました。
見るに見かねて、そうした議論の危険性を投稿しましたが、議論というのは動き出すととまらなくなるものです。
話はどんどん広がり、そのやり取りに嫌気をさしてメーリングリストから抜ける人まで出てきてしまいました。
結果的には、さまざまな意見の素直な表明を経て、
問題はうまく収束し、ある意味では前進の契機にもなったのですが、
その経緯を見ていて、平和の崩壊はいとも簡単なことなのだと改めて実感しました。
戦争のきっかけはきっと瑣末な問題なのでしょうね。
しかも、それが表情を持った人のつながりのない無機質な情報空間での手続き的な議論を起点にして、どんどん対立の構図が拡大していく。
もし十分に拡大できない場合は、誰かがそれを加速する仕掛けをして、戦争を回避できないものにしていくのでしょうか。
メーリングリストでのやり取りに、戦争勃発のメカニズムを垣間見た気分です。
戦争回避を目指す「平和主義者たち」が戦争の引き金になってしまうこともきっとあるのではないかと末恐ろしくなりました。
平和活動の難しさをいま実感しています。
「平和」と「戦争」は同義語ではないかと、この頃つくづく感じます。
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コメント
>戦争回避を目指す「平和主義者たち」が戦争の引き金になってしまうこともきっとあるのではないかと末恐ろしくなりました。
これはありますよね。
戦争回避を目指す「平和主義者たち」って、戦争や争いが好きな人が多いです。
ある人から伝え聞いた話ですが、ある政府機関の近隣で、機動隊とのもみ合いがあり、平和活動家にガンガン言われて、ある機動隊員が涙声で「平和活動とか言って、全然、平和じゃないじゃないですか」で言ったそうです。
それで、我に返った人がいて、争いも収まったようです。(しかも逮捕者も出なかった)
私は、「平和」と「戦争」は、同義語ではなく「平和」は耳障りがよく、戦争に利用されやすい言葉なのだと思います。
どちらかというと「戦争」と「反戦」は、戦争への感心が高いという面では同じかもと思っています。
また同じ人から聞いた話ですが、別の機動隊員は、平和な町の番人である交番のお巡りさんになりたくて警官になったのだそうですが、機動隊に配置になったそうです。しかし、現実は、争いを助長しかねない仕事なので、かなり困惑しているようだったそうです。
投稿: まいける東山 | 2006/09/22 23:50
まいけるさん
ありがとうございます。
最近なかなかお会いする機会がないですね。
また遊びに来てください。
機動隊の話ですが、
策や、テレビで太田光さんが、団塊世代に対して、
安保反対のデモ活動で機動隊と戦っている様子は、
下の世代から見ると、戦争推進者と同じように見えたというような発言をしていました。
不正確な紹介ですが、
私もそういう疑問を当時からずっと持っていますが、
たぶん「平和」と「戦争」は対立概念ではないのでしょうね。
今参加している平和のグループも、かなり論争的で、なじめないでいます。
投稿: 佐藤修 | 2006/09/25 10:19
敵がいないと生きて行けないのがヒトなんじゃないかと
思うときがあります。美醜も、言葉も、神話も宗教も
民族も知識も科学もとってつけたような理由として
使われますが、敵を攻撃し続けないと燃え上がらない
生物というわけで。911テロもそうした意味で今の
事態は予測できましたが、誰が得をしたかということと、
人類のニヒリズムは止まらない気がする。
投稿: tabata | 2006/09/25 13:11
田端さん
少なくとも私は敵がいないほうが幸せです。
田端さんはどうですか。
敵がいないと生きていけませんか。
まずは自分から考え直すと、
さまざまな先入観や言説の虚構が見えてくるような気がします。
投稿: 佐藤修 | 2006/09/25 18:41
お坊さんもそういうことを
いうのですが実際にはそう
なっていないと思います。
自分の関わり無い事件で
犯罪者を処罰しろとかいうのもそうです。
投稿: tabata | 2006/09/26 09:23