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2006/09/14

■私的所有指向の呪縛からの脱出

以前、西部劇のビデオをコレクションしていましたが、ほとんどすべて廃棄しました。
観る時間がないうちに、保存が悪くて画質が維持できなかったためです。無駄なことをしてしまいました。
DVDになり保存しやすくなったので、DVDコレクションを考えたのですが、やめました。
記録は個々人で持つのではなく、社会的に保存されたところから必要に応じて取り出せばいいのだという気に最近漸くなれたのです。
頭では以前からわかってはいたのですが、その仕組みに信頼を置けなかったのです。
しかし最近は、自分がもっているよりも、公共空間で保管しておいてもらったほうが使いやすいことを体験しだしました。
よくわかりませんが、これがWeb2.0時代なのだと、付け焼刃的に勝手な解釈をしています。

この仕組みはまだ情報分野だけのようですが、
この考え方をさらに進めると、私的所有信仰に大きな変化を与えることになるかもしれません。
成熟社会とは、そもそも私的所有概念がなくなる社会かもしれません。
たとえば銀行にあるお金を必要な人が自由に使えるような時代は来ないでしょうか。
そうなれば、世界から泥棒も戦争もなくなるかもしれません。
お金も所詮は「情報」ですから、みんなで共有してもいいような気もします。

そんな馬鹿な話はない、などと決めるのはやめましょう。
空を飛ぶなんて、そんな馬鹿なことはありえないと、つい少し前の人たちは考えていたのですから。

ともかく発想を自由にしていくことがいま求められているように思います。
911事件のことも含めて。

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