■住民たちの意見を聴くという意味
長野県の知事が変わって1か月以上がたちましたが、
新聞情報によればどうもまた旧態依然の利権行政に戻っていってきているようです。
そうした状況を報告している朝日新聞の記事にこんなくだりがありました。
村井知事の売りは、周囲との協調と対話。 組織・団体とことごとく敵対した田中氏とは対照的に、村井知事は積極的に陳情を受ける。すでに20回を超えた。 知事室前には、田中県政前にはあった来客用の待合スペースも復活。
田中さんも村井さんも住民の声を一生懸命に聴こうとしていることにおいては、同じかもしれません。
問題は「住民」とは誰かです。
田中さんにとっての住民は額に汗して働いている納税者であり、
村井さんにとっての住民は納税者の税金を使う人たちなのです。
全く意味合いが違うのです。
正反対の内容になるでしょう。
ですから村井さんには陳情に来る人が後を絶たないわけです。
行政も税金を使う立場ですから、行政職員も仕事がやりやすくなるでしょう。
「住民参加」や「住民の声に耳を傾ける」などという言葉は全く意味のない言葉なのです。
しかしこれほど急速に元に戻るとは思ってもいませんでした。
ホームページからは田中県政時代の記事が削除されつつあるという記事もありましたが、
まさに歴史の改ざんにつながる話です。
企業ではよく行なわれる話ですが、
自治体行政でもそんなことが行なわれるのかとは驚きでした。
長野県政もまた、経済界のドンたちによって私物化(民営化)されているようです。
それにしても、知事や首長が変わると政策が一変するのはどう考えるべきでしょうか。
脱ダム宣言が否定されるのと滋賀県の新幹線駅建設が否定されるのと同じではないかといわれそうですが、話はそう簡単ではないように思います。
確かに否定の対象は「政策」です。
しかしその背後には、もっと大きな違いがあるように思います。
それは、その政策決定ないしは政策見直しが、だれの声によって行なわれたかです。
あるいは誰のために行なわれたか、といっても良いでしょう。
難しい言葉を使えば、ガバナンスの問題です。
ガバナンスの主役は、
額に汗して働いている納税者なのか、
納税者の税金を使う人たちなのか、
そのパラダイムがいま変わろうとしているのです。
「住民の声に耳を傾ける」などという言葉で議論していては、
そのパラダイムの違いに気づきません。
村井さんがこれほどまえに急いで否定したくなるほどの実績を残した田中知事のすごさを改めて評価したいと思います。
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