■文明の衝突と個人の連帯
昨日、アマルティア・センの著書に触れましたので、ついでにその本で共感したことを書きます。
日本でも話題になった、米国の政治学者サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」に言及して、こう書いています。
文明にもとづく分類は希望のない歴史であるばかりでなく、人びとを狭義のカテゴリーに押し込め、「文明ごとに」はっきりと引かれた境界線をはさんで対峙させ、それによって世界の政情不安をあおり、一触即発状態に近づけるでしょう。(「人間の安全保障」33ページ)
多元主義国家だったイギリスでさえ、宗教ごとの学校ができてきていることをセンは嘆いています。
ハンチントンの「文明の衝突論」は9.11事件の露払いだったのかもしれません。
あんな本がなぜ話題になったのかわかりませんが、退屈な本でした。
しかし、世界はますます「文明の衝突」に向かって進んでいます。
センのこの言葉にとても共感できます。
しかし、その一方で、ラマラ・コンサートに見るように、個人のつながりが衝突を回避する希望を見せだしています。
文明を超えて、人類はつながっていることを意識することこそが、いま求められているのです。
情報社会は大きな2つのうねりを生み出しています。
歴史観のパラダイムを、組織起点から個人起点へと変えていくことが必要ではないかと思います。
国家の主役は、権力者ではなく生活者に変えていかねばいけません。
それに成功すれば、国家は新しい組織に進化するでしょう。
失敗すれば消滅するでしょう。
その結果が見えるのがおそらく100年後なのが少し残念です。
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コメント
これから日本は戦前みたいになって戦中派の反省はどっかに
いってしまい神聖天皇制が再生しそうに思いますが、西欧の
モデルで日本社会を斬るというやり方しかやってこなかった
ツケもあるのではないか。戦後は自らの力ではなく、西欧を
崇拝しすぎて空転した。
投稿: tenko | 2006/10/03 16:28