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2006/10/08

■哲学者が減りました

これはCWSコモンズからの一部修正した上での再録です。
広く読んでもらいたいと思ったからです。
CWSコモンズよりも最近はこちらのブログのほうがアクセスが多いのです。

先日、少しだけ女房の畑仕事を手伝いました。
といっても雑草とりと冬大根を蒔くための畝作りです。
それでも柔な老体にはきつい仕事です。
喉が渇いたら畑にできているミニトマトをとって食べるのですが、
これがまたすごくおいしく、幸せを感じます。
どこの食卓の料理より、私にはおいしいです。

ところで、こうした1時間ほどの畑仕事で考えることはたくさんあります。
食に対する考えもそうですが、雑草とりをしながら考えることは少なくありません。

雑草と野菜や花とはどこが違うのか、
野菜はケアしないと枯れてしまうのに、なぜ雑草は抜いても抜いても出てくるのか。
実をならした後の野菜は抜かないとどうやって朽ちていくのか。
収穫されることなく捨てられる遅れて結実した茄子やトマトは幸せなのか。
作業をしながら、そんなさまざまなことが頭に浮かぶのです。

我が家の畑の道路側は通行人のための花畑です。
その花をまだ咲いているのに抜き取ることを農園主の女房から指示されました。
まだ咲いている花を抜くことにも抵抗を感じますが、花好きの女房は見事に決断します。
そのほうが良いのだそうです。
そういえば樹木の剪定もそうですね。思い切ったほうがいいのです。

しょうもないことを書いていますが、
こうした仕事の中に、私はプラトンの哲学書よりも深遠な知恵を感ずる気がします。
そうした「大きな哲学体験」を日々している農業者はすごい哲学者なのではないか。
いつもそう思います。

農業者に限りません。職人も商店で物売りをしている人たちもです。
そうした哲学者が最近は減ってしまいました。
それが社会の荒廃に影響しているのではないかと、この頃、痛感しています。

国会での安倍首相の答弁を聴いていて、本当に情けなく思いました。
安倍さんにもぜひ農業をやってもらいたいです。
我が家の家庭農園に手伝いに来てくれたら、うれしいのですが。

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