■人間的発展と経済的発展
センのシリーズをもう1回だけ続けます。
センが重視しているのが、「人間の安全保障」です。
それにつながる補完概念として、センは「人間的発展」を取り上げています。
「人間的発展」は、パキスタンの経済学者のマーブブル・ハクが提唱した概念で、
「人間としての自由を高め、潜在能力を身につけそれを活用できるようにしていくこと」だそうです。
一昨日話題にした「教育」の本質そのものといっても良いかもしれません。
この概念は、商品の生産消費に偏りすぎていた人々の目を、人間の生活の本質と豊かさに向けさせたとセンは評価します。
いわば経済的発展から人間的発展へと視野が広がったといっていいでしょう。
最近の日本の社会を見ていると、このセンの指摘はとても理解しやすいのではないかと思いますが、
相変わらず経済的発展思考だけの人が多いのが不思議です。
経済的発展至上主義はいつから生まれたのでしょうか。
アメリカ移住民たちにとっては、アメリカ世界は歴史のない世界でした。
アメリカのネイティブたちにとっては、豊かな歴史があったのですが、
移住民たちにはそれは見えなかったのです。
そこで彼らはネイティブを動物のように抹殺し(一説には98%のネイティブが殺害されたといわれますが、
もしそれが事実であれば、ジェノサイドといってもいいでしょう)、フロンティアなどと称して西部を開拓していったのです。
そうした世界では、物質的発展は見えやすく手応えがありますし、
何よりもややこしいしがらみや文化がありませんから自由に展開できるダイナミズムが楽しめるのです。
経済的発展至上主義は、歴史のない白人アメリカ社会であればこそ生まれたのではないかと思います。
歴史のあるヨーロッパでは生まれようがないのです。
こうした状況は、第二次世界大戦後の日本が置かれた状況につながります。
時の為政者やリーダーたちによって、日本は伝統と価値観を白紙にしてしまいました。
そして取り入れたのがアメリカの思考法です。
そして見事にアメリカ型経済的発展を遂げたのです。
そこで大切にされるのは、GNPであり偏差値です。
文化がない世界では評価基準は簡単なのです。
物理的もしくは構造的暴力が世界を支配するのです。
アマルティア・センの生まれたインドはしがらみが多すぎました。
文化が発展しすぎていました。
ですから経済的発展に乗り遅れました。
しかし、ホモエコノミストの時代は終わろうとしています。
経済のパラダイムシフトが求められているのです。
経済的発展を基軸にするのではなく、
人間的発展を基軸にする社会が近づいてきているように思います。
私たちも暮らし方を変えられる時代になってきたのです。
私も小さな一歩を踏み出していますが、踏み出すと世界は違ってみえてきます。
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