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2006/10/02

■未来を収奪しようとしている教育改革

教育基本法が変えられようとしています。
自民党では3年かけて議論してきたし、7割の国民が賛成しているといっています。
そうでしょうか。
もし仮にそうであるとしても、これは大きな問題です。
憲法改正よりも大きな問題かもしれません。

教育とは何かを語りだすとまたきりがありませんが、
教育こそが最大の経済発展の礎であり、社会安定の要であることは、もっと認識されていいでしょう。
最近の日本社会のほとんどの問題は、教育の失敗に関わっていると思います。
だれが失敗させたか。
いうまでもなく文部省であり、産業界だと私は思いますが、
それも含めて責任は私たち自身にあります。

ノーベル賞を受賞したインドの経済学者、アマルティア・センは、
基礎教育の重要性を訴えている人ですが、彼はこういっています。

日本は19世紀の半ばすでに、教育改革の必要性をしっかり見抜いていました。明治維新から間もない1872年に、教育の基本制度である学制が公布され、「邑(地域)に不学の家なく、家に不学の人なからしめんことを期す」と、社会の責任が明示されました。抗して、教育の格差が縮まり、急速な経済成長をとげる日本の目覚ましい歴史が始まったのです」(「人間の安全保障」13ページ)

日本は「教育の成功」を体験した国です。
もっと正確に言えば、それは何も明治維新から始まったわけではなく、
江戸期に培われた文化なのです。

センは、アジア経済発展の特徴として、
学校教育の普及・医療の充実といった人間的発展の実現をあげています。
まず経済発展ありきでその後に人間的発展を促すモデルとは異なり、
経済発展よりも人間的発展を重視し国家と市場が補い合うことにより「東アジアの奇跡」は実現した、
というのがセンの考えです。

つまり社会のパラダイムがちがっていたのです。
しかし、日本は戦後、アメリカモデルに切り替えました。
それにしたがって、教育もまたパラダイムシフトしてしまったのです。
学校は学びや教育の場ではなく、訓練や管理の場になってしまいました。
その結果、理系はともかく文系での教育レベルは一番低いレベルと評価されるほどになってしまいました。
誰が評価したのかといわれそうですが、
OECDなどの調査結果を見るまでもなく、1日テレビを見ていたらそのことは一目瞭然です。
教育を受けなかった人たち(テレビ局や大企業の経営幹部たち)が制作しているテレビは
おぞましいほどに痴的です、

英語教育を小学校の必修科目にするかどうか、が話題になっていますが、
そんな瑣末で答も明確な問題に目をとられずに、
教育の本来的な意義や役割を再考するべき時期にあると思います。
教育改革の方向性を間違えれば、未来の展望はなくなります。
「改革」がいつでも良いものだという発想は捨てなければいけません。

私たちの未来を収奪しようとしている教育改革の動きが高まっているのが不安です。

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