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2006/11/24

■マスコミの評価犯罪

昨日、「マスコミの犯罪」という表現を使いました。
これは私がずっと思っていることですが、
マスコミが起こした人の死や不幸な事件は決して少なくありません。
マスコミには人の死をももたらす暴力性があるからです。
しかし、その意識がマスコミ関係者には希薄です。
自動車が殺人凶器になることを軽視している自動車メーカーの経営者と同じです。
さらにいえば、飲酒運転する人と同じ危険性を持っている存在とさえいえるかもしれません。
よほどの自覚と自制力が求められるはずです。

ところで、最近、様々なところで「評価」という言葉が聞かれます。
私にはどうも違和感のある言葉です。
一番の違和感は「評価」の目的と評価基準です。
評価自体が目的になったり、
基準が明確でなかったりすることが多いように思います。
評価は評価される人にとっても歓迎できるものでなければいけないと私は思っていますが、もしそうであれば、そもそも「評価」なる言葉が不適切なのかもしれません。
私は行政評価などでは「共創型評価」発想が必要だと考えていますが、
これはなかなか受け入れてもらえませんでした。
以来、「評価」嫌いになっています。
評価に関心のある人たちは、みんな現場に関心のない管理志向ではないかという不信感さえ感じています。
管理は大切ですが、基軸にはならないというのが、私の意見です。

いずれにしろ、最近は「評価」ばやりです。
みんな自分のことは棚に上げて、誰かを評価することが大好きなのです。
多くの場合、評価の対象と目的は自分ではありません。
自己評価という言葉はありますが、目的は自分の外にあることがほとんどです。
ですからどうしても無責任になりがちです。
それに評価の基準は人によって違うことが多いように思います。
そして目線の高い評価が多いのも気になります。
マスコミは、まさにそうした「評価」の舞台です。

1週間ほど前に、北九州市の学校の校長が自殺した事件がありました。
報道では「いじめ隠し」を避難されていましたが、
実態はそうではなかったようです。
マスコミの犯罪の典型例かもしれません。
こうした「評価犯罪」がいたるところで展開されています。

マスコミで情報を流す人は、常に「評価」をしています。
私たちは、その記事を読んで、事件やその関係者を評価します。
そして、ともすると「評価犯罪」の片棒を担ぐことも少なくありません。
そうならないために、
私たち一人ひとりが、しっかりしたビジョンと価値観を持たねばなりません。
マスコミを鵜呑みにするのではなく、自らの生活に立脚して、マスコミ情報を読み取ることが必要です。
そうでないと、マスコミの犯罪はますます広がっていくでしょう。
マスコミが発信してくる「評価」を安直に信ずるのはやめたいものです。

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