■犯罪へのけじめのつけ方
三菱自動車虚偽報告事件の無罪判決には驚かされましたが、
その報道記事の中に、同社販売会社の元営業マンの言葉がのっていました。
「裁判で勝った、負けたじゃない。問題はプロセスです」
この人は5ヶ月前まで三菱自動車の販売会社の営業マンでした。
入社直後の研修で、
「車は人生で家の次に高い買い物です。だから皆さんも自信を持って売って下さい」
と幹部から言われ、
いつかトップセールマンとして表彰されたいとがんばってきたのだそうです。
しかし、三菱自動車のリコール隠し発覚後、次々と同僚が転職。
彼も転職を考えたそうですが、「お客さんが文句を言える相手」としての立場を放棄できずに踏みとどまってきたのだそうです。
月給は三分の一にまで減り、ボーナスも無くなり、
家族の生活のために会社には内緒で、深夜のファミリーレストランでアルバイト。
次第に家族との会話も減り、離婚。
結局、「また欠陥が出たら何を言われるのだろうって、売るのが怖くなって」今年7月に退職したのだそうです。
社会的事件の背景にはこうした話はたくさんあるでしょう。
そして裁判がどうなろうとも、こうした人たちが失ったものは戻ってはこないのです。
現在の裁判のあり方が基本的に間違っているのは、そうしたことへの配慮が不在だからです。
母親を殺害したにもかかわらず、数年で社会に戻り、全く無縁の姉妹を殺害した人の事件も、
そうした間違った裁判制度や司法制度の結果だと思います。
社会の仕組みと裁判のミッションが変化してきていることを踏まえて、
司法制度そのものの見直しが必要です。
最近の裁判所の判断(判決)には、自分が被害者だったら、到底納得できないというものが多すぎます。
裁判官はそういう思いを持たないものでしょうか。
社会的に見ても、犯罪のけじめとしての納得性がないものが多いように思います。
裁判員制度などという馬鹿げた制度を導入するようなことを考える前に、
裁判のあり方を根本から正さなければいけません。
私の友人知人にも、裁判員制度づくりに関わっている人が2人もいますが、とても残念な話です。
個人的な友人知人としては、とてもいい人たちなのですが。
それはともかく、企業を隠れ蓑にした経営者や企業人の犯罪は、もっと厳罰に処すべきでしょう。
もちろん政府を隠れ蓑にした犯罪は、もっと厳罰にしてほしいものです。
しかし多くの政治家は犯罪(本人にはその感覚がないのかもしれませんが)を犯すために政治家になるのでしょうから、それは無理なことかもしれません。
同じ新聞の一面には、タウンミーティングのやらせ事件(れっきとした犯罪です)に関連して、
当時官房長官だった安倍首相が、その責任をとる「けじめ」として、
首相報酬のなかから約100万円を返納したという記事が出ています。
この人には知性というものがあるのだろうかと呆れますが、
これもそれも小泉首相が始めた「嘘を奨励する社会」の中での日常的なことなのかもしれません。
100万円でけじめがつけられるのであれば、私もそうした犯罪に加担したくもなります。
まあそれはともかく、お金でけじめをつけるという発想の卑しさには情けなくなります。
いずれも犯罪実行者が「犯罪」と思っていないところに問題がありますが、
もうすこしまともなけじめのつけ方があるのではないかという気がします。
哀しい時代になってきました。
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