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2006/12/25

■「先入観からの自由」の回復

一昨日、テレビの太田総理スペシャルをちょっとだけ見ました。
消費税の議論をしていましたが、あまりのばかばかしさにすぐ見るのをやめてしまいました。
よくもまあ、こんなに脳天気な連中を集めたことかと思われるほどのメンバーでしたが、
半分くらいの人が「消費税率はいつかは上げなければやっていけない」という前提で話しているのです。
忘れてしまいましたが、他にもまだそうした「前提」を語っている人がいたような気がします。
そんな前提があるはずがありません。

数学の公理ではあるまいし、現実の社会にそういう絶対的な前提などあろうはずがありません。
知性のなさというか、知識のなさというか、呆れ果てた議論をしているのです。
いや、呆れ果てているのは私だけかもしれませんね。いやはや。

しかし最近の多くの議論は、ある前提に立脚して論理を組み立てているものが多いように思います。
前提が間違っていれば、議論は全く意味を持ちません。

CWSコモンズのフォーラムのコーナーにコメントがありました。
古舘さんや議員に期待するのは「無理かもしれない」というのです。
もしよろしければコメントを読んでください。

これは、このブログへのコメントなのですが、
スパムメールの来襲を避けるためにアドレス表示しなくても書き込めるCWSコモンズに投稿されたのだそうです。
このことも私はいろいろ思うことがあるのですが、まあそれはまたいつかということにします。

コメントしてくれた向阪さんも「キャスターや議員に期待しても無理」という前提に縛られています。
どうして大人たちは、そうした前提や常識や「見識」に拘束されてしまうのでしょうか。
1回しかの人生であれば、もっと自由に発想し行動していってもいいと思うのですが。

子どものような素直さでみんなが生きだすと社会は輝きだすでしょうね。
そうしないために「学校教育」はあるのかもしれません。

あれあれ、思ってもいなかった結論になってしまいました。
困ったものです。はい。

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