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2006/12/30

■フセインの死刑執行の不快感

フセイン元大統領の死刑が執行されました。なにかとても不快感の残る1日でした。
なぜでしょうか。
この裁判にどれほどの公正さがあったかはともかく、
やはり勝者のおごりを感じます。
ブッシュはなぜ裁判にかからないのか。
なぜ彼は死刑にならないのか。
事情をあまり知らない私にとっては、この2人の違いがあまりわかりません。
神の恩寵が、ほんの少しだけフセインに加担したら、ブッシュは死刑になったのでしょうか。
せめて公開の場で、フセインとブッシュの議論を聞きたかったものです。
そうすれば、もう少し歴史の真実とフセイン時代のイラクの実態が理解できたでしょうし、戦争のメカニズムも解明できたように思います。
よほど早くフセインを抹殺したい人たちがいたのでしょう。

国際政治における軍事裁判と国内統治のための裁判とは全く論理を異にするでしょうが、
前者における死刑執行の論理が私には理解できません。

とてもいやな1日でした。
それにしても、どうしてこんなにいやな気分になってしまっているのか、私自身も意外なのですが。

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