■コモンズの幸福
「コモンズの悲劇」という有名な話があります。
生物学者、G.ハーディンが1968年に「サイエンス」誌に発表した、「誰でも自由に利用できる共有資源は乱獲によって枯渇してしまう」という話です。
詳しくはウィキペディアを読んでください。
これに関しては、このブログやCWSコモンズでも何回か触れています。
たとえば、個人の利益と社会の損失の非対称にも書きました。
現実にはコモンズの悲劇的現象は世の中に充満しています。
最近の給食費不払いの話などはまさにそうした事例の一つです。
年金問題もそうかもしれません。
しかし、組織発想から個人発想に替えることで、パラダイム転換できる話だと私は思います。
つまり、発想を変えれば、コモンズの悲劇はコモンズの幸せになるはずです。
これもどこかに書いたような気がしますが、今回はもう一つの側面を書きます。
「消費発想」から「創造発想」に変えることで、コモンズの悲劇はたぶんなくなります。
つまり、コモンズ(みんなのもの、共有地、共有資源)を消費の対象とするか、
創造あるいは育ての対象とするかということです。
最近の社会はよく言われるように、「消費社会」です。
「生産」もまた「消費発想」になっていることは、以前、「消費機関としての企業」に書きましたが、
生産よりも消費に軸足を置いているのが今の産業社会です。
その枠組みで考えれば、有限のコモンズを消費する以上、どこかで悲劇は起こります。
しかし、発想を逆転し、「消費」もまた「創造」だと考えれば、話は全く変わります。
消費には限界がありますが、創造には限界がないからです。
コモンズは「みんなで消費するもの」ではなくて、
「みんなで育てていくもの」と考えると悲劇ではなく幸せが見えてくるはずです。
私は東レ時代にCIに取り組みましたが、会社の企業理念に「価値の創造」という言葉を選びました。
当時、この言葉を掲げていたのは上場企業ではたぶん「キリン」だけでした。
似た言葉だったので私はキリンの担当者に事前に了承を得にいったのを覚えています。
たかだか20数年前の話ですが、当時はそういう時代でした。
しかし、その後、多くの会社が「価値の創造」をうたいだしました。
そして「価値を消費」しだしたのです。
言葉を掲げると事態は逆に動き出す。
皮肉な話です。
会社を辞めて20年近くになりますが、会社を離れてみると、
会社が創造していることと消費していることが良く見えてきます。
そして大きな流れが、創造よりも消費に向いているのがわかります。
しかし、消費発想から創造発想へと切り替えると、
全く新しい経済システムが見えてくるような気がします。
税金を徴収されるのではなく、税金を納める社会。
義務教育ではなくて、権利教育。
社会の仕組みも変わってくるはずです。
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