■豊作になると野菜が廃棄される経済
豊作のためにキャベツや大根の価格が下落し、農家は自らが育てた野菜をトラクターなどで踏みにじって廃棄しているニュースが連日放映されています。
たとえば、キャベツは廃棄するとキロ27円が政府や農協によって補償されるそうですが、販売するとキロ31円なのだそうです。
4円の上乗せしかできないのであれば、廃棄したほうが利益にはなるでしょう。
でも、そこで納得してしまってはだめなのだろうと思います。
たしかに経済計算ではそうなりますが、キャベツやレタスが踏みにじられるように廃棄される映像を見ていると、廃棄しているのは野菜だけではないことに気が付きます。いや、気づかなければおかしいのです。
何が廃棄されているのか。
たとえば「食べ物を大事にするという価値観」「労働に対する誇り」などは、間違いなく廃棄されているように思います。
この映像を子どもたちに見せながら、食べ物を大事にしようとか働くことの大切さを説くことはできないでしょう。
つまり社会の大切な価値観を廃棄しているのです。
キャベツで言えば、廃棄される量を上回るキャベツが海外から輸入されているそうですので、それもおかしな話ですが、いまの経済論理からいえば、それも「合理的」なのでしょう。
しかし、日本による食料の輸入は、必ずどこかの国の飢餓につながっているはずです。
食料には経済を超えた価値があります。
しかしお金は手段でしかありませんから、本源的な価値はありません。
ところが、今の経済社会は本来的な価値ではなく、手段としての価値しかない貨幣を軸に動いてしまっているのです。
こんな経済システムが正しいはずがありません。
そう思えてなりません。
我が家は30坪程度の家庭菜園で野菜をつくっています。
素人農法ですが、野菜ができすぎることがあります。
もちろん廃棄などせずに、隣近所に差し上げます。
そのお返しに、今度は庭でなった柿やミカンをもらったりしています。
お金を入れてしまうとどこかでおかしくなるように思います。
貨幣を手段にする市場原理への信仰をそろそろやめるべきではないでしょうか。
新しい経済を構想するべき時代ではないかと思います。
貨幣から開放されると豊かな生活の展望が開けてくるのかもしれません。
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