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2007/01/27

■鳥インフルエンザの犠牲になる鳥たち

また、宮崎県で鳥インフルエンザによる大量死が起こりました。
調査結果次第では、殺処分するなどの防疫措置としてまだ元気な大量の鳥が処分されることになります。
この数年、病気を理由にした家畜の大量殺処理が頻発しています。
そのニュースを聞くたびに、悲しくなるだけでなく、恐ろしさを感じます。
人間の場合は罹病すると治そうと努力してもらえますが、家畜は処分されるのです。
身の毛の立つほどの恐ろしさを感じますが、それが堂々と報道されるのです。

まだ罹病していない鳥や牛が防疫のために殺される。
これをどう考えるべきでしょうか。
私には答が見つかりませんが、しかし、殺すことはないだろうと思ってしまいます。
同じ「生命体」として、生命を活かすことをベースに考えられないものでしょうか。

私がこうした大量の家畜の処分や野菜の廃棄に恐ろしさを感ずるのは、
生命を粗末にする社会は、自らの生命をも粗末にすることにつながるのではないかと思うからです。
宮沢賢治の「世界中みんなが幸せにならないと自分の幸せはない」という時の、「みんな」には鳥やキャベツの幸せは含まれないのか。

テレビでそうしたニュースをみる度に思い出すのが、アンジェイ・ムンクの遺作映画「パサジェルカ」の一画面です。
収容所のユダヤ人たちが列を組んで、静かにガス室に入っていく光景です。
人間も時には処分されてきました。
いや過去形で語るべきではないかもしれません。

アメリカ大陸の「開拓時代」に白人によってネイティブのアメリカ人の98%が殺されたということを昔呼んだことがあります。
98%というのはいかにもすごい数字ですので、私の記憶違いかもしれませんが、
かなりのネイティブ、いわゆるインディアンが殺されたのは事実でしょう。
南米でもアフリカでもオセアニアでも、かなりの人が殺害されました。
家畜の処分と同じだとは言いませんが、違うとも言い切れません。
私たちはいまもこういう、防疫処分行為を続けているのかもしれません。
ブッシュがその推進者というのは論理の飛躍でしょうが、何か無縁でないような気がして仕方がありません。

家畜の大量処分ニュースを聞くたびに、こんなことを考えます。
そして家畜や野菜を育ててきた人たちの哀しさに手を合わせています。
どこかで何かが間違っているような気がしてなりません。
この先に、自分たち自身を処分する私たちの歴史が見えてくるのは、私だけでしょうか。

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コメント

処分という言葉からは、動物をモノとして見る視線を感じます。
鳥の飼育場は、まるで工場のようです。人が食べるための飼育であっても、動物の苦しみや痛みに配慮すべきです。
鳥たちは餌をついばむだけで身動きさえままならないケージのなかで
一生を終えるのです。
鳥は土の上で、牛は草原で暮らす生き物です。
卵の値段は安すぎます。動物がほんの少し生きる歓びを感じるために公正な費用を負担すべきです。
人と動物の間もフェアトレードの時代だと思います。

投稿: 大西充寛 | 2007/01/28 01:36

大西さん
ありがとうございます。

全く同感です。
私も以前、養豚所に行って驚きました。
しばらく、豚肉が食べられませんでした。

鶏卵も安すぎますね。
平場で鶏を飼っているところもいくつか見せてもらったことがありますが、流通経路の問題で、経済性を取るのが難しいといい話も聞きました。
私たち消費者の問題もかなりありますね。

しかし卵が1個、10円以下で買えると言うのは、
やはりおかしい気がします。
不二家や雪印の事件も問題ですが、
こういうことも放っておいていいのかという気がします。
どうしたらいいのかよくわかりませんが。

数年前に御宿で、乳牛を飼っている人から、
牛に愛情を持って育てると出てくる牛乳が変わってくるという話を聞いたことがあります。

>人と動物の間もフェアトレードの時代

納得します。
その視点がまだまだ弱いのが問題ですね。
フェアトレードに取り組んでいる友人たちに、早速、この視点を話してみます。
ありがとうございました。

投稿: 佐藤修 | 2007/01/28 08:08

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