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2007/01/18

■未開は文明から生じたもの

文明退化論というのがあります。
ムー大陸を提唱したチャーチワードが有名ですが、他にも様々な論者が展開しています。
ムー大陸理論は大陸移動説など地球物理学の視点から今ではほとんど否定されていますが、全く否定されているわけではありません。
私は充分にありえる話だと思っています。
デニケンやウィルソン、最近ではグラハム・ハンコックなどの著作もまた、そうした論の一つといってもいいでしょう。
いい加減な話もありますが、すべてを否定する気にはなりません。
日本でも世界でも、超古代史の世界が大好きな私としては、いわゆる反「進歩主義」とは違う、文明退化論に大きな魅力を感じます。

私は、もっと短い私自身が実感できる「人生時間」においても、進歩よりも退化を実感しますが、進歩と退化は同じ事実の両面なのかもしれません。
チャーチワードは「未開は文明から生じたのであり、文明が未開から生じたのではない」と主張しています。
たしかに歴史的事実としても、アフガンやイランに見るように、あるいは南北アメリカに見るように、文明がある域を超えて破れると未開状況が発生しています。
一見、それは近代化の波に乗らなかった世界の状況との表層的類似点があるために、トルーマン以降の「開発」史観は、その文明を「未開」と一括してしまいましたが、表情の豊かさにおいては、そちらのほうがよほど豊かだったのかもしれません。
大文明が滅んだ時に、生き残った人たちが自分で生活する術を知らなかったから、わずかに残った道具にすがりながら、生き抜くしかなかった、というのがチャーチワードの考えです。
たしかに、各地に残るさまざまな遺跡を読み解く上では、こうした考えは有効です。
オーパーツという、歴史的にはありえない存在(たとえば古代ギリシア時代のコンピューターや南米の墓石に描かれた宇宙船、南極を正確に描いたピリ・レイス地図)もまた、その存在が納得できます。

パラダイムの転換とか発想の転換という言葉があります。
言葉はありますが、実際にこれを行うことは、そう簡単ではありません。
なぜならば、否定されている「非常識な前提」を受け入れるところからパラダイムシフトは始めなければいけないからです。
「常識」とは、思考を縮減するための知恵だと私は思っていますが、その「常識」を疑うことは行動の拠り所を自らが引き受けるということでもあります。
つまり自らが問われるということです。
それは結構大変なことなのです。
しかし、その一歩を歩みだすと、意外と新しい世界が開けることも事実です。
地球文明は私たち人類の祖先が育てたものという常識から自由になって発想してみると歴史がとても面白く見えてきます。いまの文明の危うさも見えてきます。

常識から解放される。
いま私たちに求められているのは、それではないかと思います。
そうすれば、不二家の問題も政治家の問題も、教育の問題も談合の問題も、すべてが素直に見えてきます。
裸の王様が素直に見えてくるのです。
そして社会が劣化し、私たちが退化していることもあながち否定できないことに気づくかもしれません。
そして、「進歩」に焦点を当てずに、「退歩」に焦点を当てると、新しい問題解決策が見えてくるように思います。
新しい文明は辺境から生ずるとよく言われますが、その意味もわかってきます。
常識の呪縛から解放されてみると、人生がとても楽しくなってきます。

ちなみに、コリン・ウィルソンの「アトランティスの遺産」(角川春樹事務所)の表紙に湖沼に浮かぶスフィンクスの絵が描かれています。
この本には、古代エジプト文明の前に、エジプトで栄えた「新文明」の話も載っていますが、この絵を見ているだけで、かつての超古代の世界が見えてくるような気がします。
私は時々、この絵を見ては、超古代から元気をもらっています。
いささか危ない話ですが。

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コメント

いつも楽しく拝見させてもらっています!

>「常識」とは、思考を縮減するための知恵

私はよく「常識的に言ってあなたの言動はおかしい」とか「あなたのような行動を取るなんて非常識だ」と人から言われる立場の人間なので、“常識”が嫌いだし、常識を傘に来て発言する常識人ぶった人が大嫌いなので、
経て身に着けてきた経験によって各人、常識なんて全く変わった捉え方をしているのに、なぜ“常識”を理由にする事が出来るのか?
なぜ「ワタシはあなたの言動はおかしいと思う」というように主語を自分にして、自分の考えとして意見を言う事が出来ないのか?
“常識”という得体の知れない不特定多数を、自分の味方に付けた様な気なって、まるで多者の意見であるかのように偽装するのは辞めてくれないか?

と、言う反論を試みるのですが、“常識人”にはそれが通じなくて困ってしまいます。(^^)
私の場合は、そういうところから始まって、常識から自由になることって、大切だよな~と実感しているところです。

投稿: yotu | 2007/01/18 22:40

yotuさん
ありがとうございます。

yotuさんが何者であるか、わかるまでしばらくサイトを読ませてもらいましたが、過去にさかのぼってようやくわかりました。
いろいろなサイトをお持ちなのですね。

常識のこと。
私も「常識がない」とよくいわれます。
私自身は、自分ほど常識のある人間はそうはいないだろうと自負していた時期がありますが、いまは自らの常識のなさに驚くほどです。
常識は、正しいとか間違っているとか、ではなくて、いわばコミュニケーション基盤としての前提ルールなのだと考え出したのは、会社を辞めてからです。
そうしたらすごく生きやすくなりました。

常識的にいってあなたの考えはおかしい、という指摘は
あなたの考えは価値がある、と受け止めることもできます。
褒められたのですから、喜ぶのがいいです。

まあ、こう考えること自体が、常識がないのかもしれませんが。

ところで、最近の「宇宙戦争」ですが、
久しぶりのB級映画というのはとても私にもぴったりしました。

投稿: 佐藤修 | 2007/01/19 08:19

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