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2007/01/12

■不二家事件の意味:「恥の文化」から「罪の文化」へ

また企業の不祥事件です。今度は不二家が期限切れの牛乳でシュークリームを製造していたことを隠蔽したという事件です。
雪印の時と同じく、「期限切れ原料の使用」とその隠蔽と二重の意味での反社会的行為が行われたわけです。
隠蔽の理由が、「期限切れの原料使用がマスコミに発覚すれば、雪印(乳業)の二の舞いとなることは避けられない」ということだそうですが、すでに「雪印の二の舞い」をやっていることに気づかないことに驚きを感じます。
しかし、これはいまの日本社会を象徴する事件です。

「見つからなければいい」という文化が日本を覆っています。
かつて「恥の文化」だった日本社会も、いまや「罪の文化」の社会に変質してしまったのでしょうか。
そういえば、複数の閣僚の事務所経費問題が話題になっていますが、当事者である閣僚の説明を聞いていると、これもまた同じ線上にあるように思います。
最近の政治家の不祥事をみるにつけ、健全な政治家などいないのではないかと思いますが、「マスコミに発覚しなければよい」というのが、いまの日本の権力者の常識なのかもしれません。
経済界も政界も、行政の世界も、です。

どうしてこんな社会になったのでしょうか。
私が子どもの頃は、「お天道様が見ている」ということが社会の規律を維持していたように思います。それこそがソーシャル・キャピタルだったのですが、いまやみんな「罪の文化」に逃げてしまっています。
しかも、それを先導しているのが、私と同じ世代の人たちだというのが、なんとも悔しくて哀しいです。

「罪」は受動的な概念であり、「恥」は主体的な概念です。
主体性のない人たちは「積み」を基準に生き、恥には関心を示しません。
企業のコンプライアンスが責任転嫁の論理であることに気づかなければいけません。
電車の中で化粧をする無恥な女性たちと同じなのです。

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