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2007/01/26

■介護の社会化の虚構

高齢社会の到来に向けて20年ほど前から「介護の社会化」が主張されだしました。
その一つの成果が「介護保険制度の導入」といっていいでしょう。
介護問題はいまのような核家族社会の中での家庭では解決しようがなく、しかもその負担が女性に覆いかぶさるということで「介護の社会化」が勢いをつけてきたわけですが、それに関しては否定しようがないことだったと思います。
しかし、「介護の社会化」の唯一の方策が、今の介護保険制度や福祉制度であるわけではありません。
そもそも「社会化」などというあいまいな言葉は気をつけておかないと危険です。
介護の社会化を大義にした介護保険制度に関しては、たとえばこんな意見もあります。

実際に施行され、その全体像が浮き彫りになってくるにつけ、この介護保険は、われわれ国民を「介護の社会化」という幻想をダシに、高齢者や低所得者などの弱者を切り捨てたとんでもない制度であることが現場で介護に携わる者には明らかになってきた。ホームヘルパーをはじめ介護現場では江戸時代につくられた「生類憐れみの令」以来の悪法とさえ囁かれているというが、家族介護者にとっても近年にない不公平・非効率の悪法と言わざるを得ない。
「現金給付を求める家族介護者の会」世話人の松井省吾さんのホームページからの引用です。書かれたのは2002年です。 続きを読みたい方はぜひホームページにアクセスしてください。


「生類憐れみの令」以来の悪法とは、さすがの私も驚きましたが、共感できるところも少なくありません。

「社会化」とは何か。
単なる問題解決をするために制度をつくることではありません。
「介護の社会化」に関して言えば、「介護問題を解決できる社会をつくること」だと思います。
社会は人の集まりです。
私の知人の川本兼さんは「2人いれば社会が生まれる」という視点で、新しい「新社会契約説」を唱えています。(「どんな世界を構想するのか」明石書店)とてもわかりやすい本ですので関心があればお読みください。

家庭も地域社会も「社会」です。
昔はそうした社会で、子育ても高齢者介護も障害支援も行われていました。
つまり福祉とか介護はもともと社会的に行われていたのです。
それが人間という種が他の生物を押しのけて大きな存在になってきた大きな理由ではないかと私は思っています。
つまり、愛を制度化したのです。
ところが、この50年の日本はそれを壊してきました。
徹底的に壊れたのはおそらく1990年ごろからでしょう。
最後まで何とか残っていた企業と行政が壊れてしまったのです。
1990年頃を境に、日本の企業も行政も変質してしまったような気がします。

「社会」を壊しながら、解決できなくなった個別問題に対処する制度をつくり、そこにビジネスを発生させる。まさに「産業のジレンマ」の典型的な事例です。
最近、老老介護の厳しい現実が良く話題になりますが、その基本にあるのは、家族や血縁社会、地域社会などといった、人間的なつながりを軸にした社会の崩壊です。
その問題に目を向けることが大切です。
その問題から解いていけば、きっと他の問題、たとえば教育の問題も今とは違った「再生のシナリオ」が見えてくるはずです。
介護保険制度もきっと今とは違うものになっていくでしょう。

そういえば、学校もまた、本来は人間的なつながりを軸にしたあたたかな社会だったのではないかという気がします。

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