■社会奉仕活動の義務化
教育再生会議は、その第1次中間報告に、
高校で社会奉仕活動を必修化するよう明記する方針を固めたそうです。
子どもたちが社会との接点を体験するということはとても良いことですが、
あえて「必修化」といわなければいけない現実が問題なのでしょう。
それに、「社会奉仕活動」と、あえて「奉仕」という文字をなぜ使うのかも気になります。
「社会活動」ではいけないのでしょうか。
こうしたところに、問題の本質が見えているように思います。
子どもの頃から社会活動を「奉仕」の視点で義務化されてしまうことに危惧を感じます。
そこからは「楽しい」イメージはでてきません。
社会活動は本来楽しいものであり、喜びにつながる要素を持っています。
そうでなければ継続はしないでしょう。
教育再生会議のメンバーたちは、社会活動をしたことがあるのでしょうか。
私自身は「奉仕」という言葉が好きになれません。
「滅私奉公」の偽善を思い出してしまうのです。
「奉仕」は自らが「するもの」であって、
他人に「させるもの」でも「勧めるもの」でもないと思います。
ましてや素直な子どもたちに押し付けるものではありません。
大人たちが自らそうした行為をしていれば、
素直な子どもたちは義務化されずとも自然とそうした行動をしていくものです。
必修化してできるものではありません。
企業はよく「社会貢献活動」と言う言葉を使います。
これも白々しい言葉です。
以前も書きましたが、「社会活動」で充分でしょう。
自分たちが、社会を構成している一員であることを自覚していたら、
「貢献」とか「奉仕」などという言葉は使わないように思うのですが、どうでしょうか。
こういうことを20年前からいろいろなところで話しているのですが、なぜかほとんど理解されません。
私が間違っている可能性もありそうです。
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コメント
こんにちは。
昨日初めてフォーラムへ投稿させていただきましたが、今日このバックナンバーを見つけて同じことが書かれているのに気がつきました。
今多くの人がこの社会の一員であるという自覚を持っていないために、世の中の動きが変な方向へ進んでいることを実感として感じます。いじめの問題でも、クラスの雰囲気をよくするための努力をみんなが放棄しているために、悪いことを助長しているのです。
子供の世界に限らず、大人社会の中でもまったく同じ構造が見て取れます。
子供文化の中で身につくはずの、人間関係の作り方、集団構成員としての行動や責任などが、子供の群れ集団や子供文化の崩壊で全くといっていいほど身につかないまま成長してしまった事の当然の結果だと考えています。
いま自分に出来ることは何か、考えているところです。佐藤先生に何か案がありましたらぜひ教えてください。
投稿: 齋藤聖子 | 2007/03/23 12:22