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2007/01/28

■希望と生命:「希望サロン」の呼びかけ

今日はちょっと「暗い書き込み」です。
昨日、「パサジェルカ」に言及したのですが、正確だったかどうかが心配になり、確かめたくなりました。
私の記憶はかなり最近危ういですので。
手元にあるDVDで画面を探したのですが、確かにユダヤ人たちは整然とガス室に入っていくのです。
まあ、これは映画ではありますが。
希望がないと死は怖くはないのです。
だから自爆テロもできるのでしょうか。
そこでは「死」が「生」に転化するのかもしれません。

映画ついでに「ソラリス」のことも書きます。
ロシアのSF作家スタニスラフ・レムの「ソラリスの陽のもとに」の2回目の映画化作品です。
原作の小説は、私がSFに目を開かれた作品で、私には思い出深い作品なのです。
最近映画のリメイクが増えていますが、私の感覚がついていけないのか、退屈なものが多いです。
リメイク版のほうが面白かったのは、「オーシャンズ11」くらいでしょうか。
他は愚作としか思えないものばかりです。
「ソラリス」も最初の作品のほうが面白かったですが、
最近、テレビで「ソラリス」が放映されたの、ついつい見てしまいました。

ところが、見終わった後、またまたアウシュビッツを思い出してしまいました。
いいかえれば「希望」の意味を考えさせられたということです。
私の勝手な解釈ですが、人は「希望」が見えなくなると「生命」への執着がなくなってしまうということです。
その時点で「生命」の輝きも消えてしまうのかもしれません。

逆に希望が芽生えると、生命を超えて、生きてしまうというようなことが起こってしまうのです。
意味不明で何を言っているのかわからないという方は、ぜひリメイク版「ソラリス」を見てください。

今年は、「希望の年」にしようと決めたのですが、
希望とは結局、生きるということではないかと気付きました。
言い換えれば、相手から「希望」を奪ってしまえば、自在に操作することができるということです。
また、自らの「希望」を捨てれば、主体的には生きられない存在になってしまうということです。

どうも回りくどい言い方になってしまいましたが、
もしかしたら、いま私たちは「希望」を奪われ、
「希望」を捨ててしまっているのではないか、という気がしてきました。
どうやら私だけが「希望」を見失っていたのではなく、
社会が「希望」を忘れてしまっているのではないか、
そんな気がしてきました。

小難しいことを書いてしまいました。
「希望」を語り合うサロンをやはり開きたいと思います。
どなたか一緒にやりませんか。
しっかりと自らを生きるために。
連絡をお待ちします。

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コメント

>人は「希望」が見えなくなると「生命」への執着がなくなってしまう

考えさせられました。
ここ数年、私が厭世的になっているのは、そういうことかもしれないと思ったのです。
生きている意味が見えなくなるのですね。
まだ欲はあるようなので、そんなに重症ではないと思いますが。

公私ともに色々あり、社会をどうにかしたい、組織をどうにかしたいとは思うのですが、
これは、壁にぶつかるというよりも、大海を石礫で埋めようという作業に似ているような気もします。
その作業がどんなにつらくても、その先に「希望」を抱くことができれば、それは耐えられるものなのでしょうが、
それを描くことができないから(あるいは信じることができないから)、きっと逃げ出したくなるのでしょう。
でも、逃げてはいけない、そう思って私は社会にとどまっています。まだ見捨てられないものがある、と思うので。
ただ、ふと気がつくと、隣で一緒に作業をしてくれてる人がいた、
なんてことになったら、それは望外の喜びになると思うのですが。

ちなみに、
私はいつも佐藤さんやその他の頑張っている人に元気をもらっています。
頑張っている方に触れることはとても気持ちのよいものですね。

ところで、書きながらつらつら思ったのですが、
厭世的になることと享楽的になることの根っこは、実は同じところにあるのかもしれませんね。

投稿: 小川美鈴 | 2007/02/02 00:18

小川さん
ありがとうございます。

>厭世的になることと享楽的になることの根っこは、実は同じところにあるのかもしれませんね。

私もそう思います。
良くも悪くも、この社会は私たちが創っています。

厭世的でも享楽的でもなく、しっかりと前に進んでいく。
これが小川さんの信条でしたね。
また力強く前に歩き出すのを楽しみにしています。

歩き出すといろいろなものがまた見えてくる。
これが私のこの1ヶ月の実感です。
めげてしまいそうになることもないわけではありませんが。

投稿: 佐藤修 | 2007/02/02 09:55

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