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2007/01/13

■猟奇的事件の過剰報道

最近、いろいろな人と話していると、テレビのニュースを見たくない、という話がよくでます。
いまやテレビすらが、悪趣味の週刊誌のように、猟奇的な事件をしつこく報道するようになってしまいました。
テレビからも社会性が失われてきているのでしょうか。
自殺やいじめもそうですが、マスコミの報道は暴力的な効果を発揮することが少なくありません。事件を相対化するのではなく、突出させながら普遍化していくのが最近のマスコミの姿勢ですが、その刺激が状況をあおったり、判断を偏向させたりしていく可能性は小さくはないでしょう。
それにしても、どうしてこれだけ猟奇的な事件を、しかも画像で細かく執拗に報道するのでしょうか。
マスコミが取り上げる事件は、時代の象徴であるとともに、時代の解釈でもあります。
最近のテレビのニュース関連の編集に当たっている人たちは、すべてが偏執狂ではないのでしょうが(そうであってほしいと思います)、おそらくかなりの人たちは異常な事件に触れているうちに、少し異常値を高めているのだろうと思います。
そうでなければ、こうした事件にこれほどの社会的(報道的)意義を感じないでしょうし、執着しないでしょうし、報道の仕方もこれほどまでに犯罪支援的な視点を持ち得ないでしょう。
そうした人たちは、ぜひ家族との団欒を思い出してほしいと思います。
そして、自分がとりあげているニュースが、愛する家族たちに見せたいニュースなのですか、と自問してほしいです。

テレビに限りませんが、マスメディアは社会を動かしていく大切なものです。
人々を元気にし、生きる力を与え、社会的な問題を解決していくこともできます。
しかし、それは両刃の剣でもあります。
資本の論理(視聴率)や利権確保のために悪用されることがあれば、極めて危険な存在になるでしょう。
ヒットラーはそれで権力を掌握し、ベッカーは300億円を獲得しました。
猟奇的事件をこれほどしつこく報道することの背後に何があるのか。
いささかの恐ろしさを感じます。

テレビの報道局のみなさん。
1週間休みをとって、家族と一緒に自らの生き方を考え直してみませんか。
そして、もう少し、みんなを元気にするニュースに目を向けてくれませんか。
自分の人生もきっと楽しくなりますよ

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