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2007/01/30

■死んだ学力と生きた学力

たまには社会と無縁な世界の話を書きます。

今日、水谷千秋さんの「謎の豪族 蘇我氏」を読んでいて、
葛城氏は「氏制度」が広がる前の豪族なので、その実態が把握しにくいという文章に出会いました。
それで、鳥越憲三郎さんの「葛城王朝」を思い出しました。

もう30年以上前の本ですが、鳥越さんの著書「神々と天皇の間」のなかに出てくるのが「葛城王朝」です。
この言葉に出会った時に、すごくわくわくしたのを今でも覚えています。
王朝交代の歴史にはドラマがあります。
その本の数年後に、鳥越さんは「大いなる邪馬台国」という本を出されました。
それは「物部王朝」の物語でした。
大和朝廷以前に存在した、もうひとつの日本の王朝です。
とても説得力がありました。

そして、その後、葛城王朝や物部王朝を統合した「蘇我王朝」があったと私は思っていますが、
万世一系の天皇家の歴史と考えるよりも、
こうしたさまざまな王朝の物語の集積として、日本の古代史を読み解いていくと歴史はわくわくするような輝きを感じさせてくれます。

しかも、その広がりは日本列島に留まるものではありません。
いま以上に、古代の日本はアジアとの交流が深かったという前提で考えると、
古代史の物語はさらに壮大に広がります。

聖徳太子が突厥の人という説もありますし、
天武天皇は高句麗の王子、天智天皇は百済の王子という説もあります。
物語の舞台は、日本列島などには閉じ込められてはいないのです。
言い換えれば、昨今のように国家などという枠にはこだわっていないのです。

これが世界の古代史になると、もっと壮大です。
文明はシリウスから来たという話もあります。

こういう壮大な話を読んでいくと萎縮した頭脳が活性化されるのです。
私たちが学校で学んだ歴史は、その後、大きく変化しています。
大化改新の存在も危うくなり、志賀の島から発見された金印も偽造説が出ています。
物部氏が仏教に反対したことも否定されだしていますし、山背大兄王の人格には疑問が出ています。
スフィンクスの建造も1万年前にさかのぼりそうですし、シュメールの文化はまだまだ奥が深そうです。
人類の誕生物語も変わってきています。

とまあ、こうして学校で学んだ常識的歴史観をはずしてみると、歴史の風景は大きく変わります。
それがどうしたといわれそうなので、蛇足をつけます。

学校で教える知識には行動を抑制する機能と行動を支援する機能があります。
試験のための知識は、与えられた正解に呪縛されるため世界を見る目を曇らせる恐れがあります。
しかし、学び方(生き方)を支援するための知識は、学ぶ面白さを教え、世界を見る目を輝かせます。
その好奇心を鼓舞し、世界を見る目を養うことを「学力」というべきではないかと思いますが、
今の「学力」は呪縛される知識を覚えることなのです。

柳沢厚生労働大臣の言葉を借りれば、子どもたちは「知識を詰め込む機械部品」なのかもしれません。
学ぶことが楽しくなるはずがありませんし、学校は工場のようになってしまいます。

最近の教育再生会議の提案は、どこを目指しているのでしょうか。
およそ教育とは無縁の人たちが多いですから、
今の学校からは「自由」になれるのかもしれませんが、視点において呪縛されているような気がします。
この提言を実現したら、きっと学校は効率の良い工場に変わるのかもしれません。
彼らが目指している生き方のように。
死んだ学力は向上するかもしれませんが、生きた学力はどうなるのでしょうか。

学ぶことの楽しさや喜びを広げていけない学びの場になっていることが、
今の日本の最大の問題のように思えてなりません。
みんな、学力をはき違えているのではないでしょうか。

あれ、今日は社会と無縁な話をする予定でしたが、いつの間にかまた社会問題になってしまっています。
なかなか社会の呪縛からは自由になれません。

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