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2007/01/11

■「脆いつながりの時代」と「一方的な情報発信の時代」

最近、年賀メールにしています。
反応がビビッドで、やりとりができるからです。
ただあまり長いメールだと読んでもらえないので、メールそのものは短くし、私のホームページで少し長いあいさつ文と近況を読んでもらうようにしています。
今年はアドレス帳が壊れていたので、半分以上の人に発信できていないのですが、いまアドレス帳の修復に取り組んでいます。これがまた大変なのです。

ところで、年始メールでいくつかのことに気づきました。
まずアドレスを変える人が多いということです。
発信した5%くらいの人からアドレス不明で戻ってきました。
最近のスパムメールなどのためにアドレスを変えることも少なくないと思いますが、新しいアドレスの通知がなかなか徹底しないのだろうと思います。
かつての手書きの住所録管理の時とは違い、発信先が桁違いに増えているでしょうから、修正も難しくなっているでしょう。注意していないといつの間にか「つながり」が切れてしまっています。

次に、先方から連絡を受けたアドレスなのに、なぜか跳ね返されてくるものが時々あるということです。
これは理由がわかりません。繰り返し送るのですが、届きません。
連絡の方法もないので困りますが、結局は放置です。
私のアドレスが受信拒否になっている可能性もあります。
私の所に私のアドレスで、スパムが届くことが以前何回かありました。
それでうっかり受信拒否手続きをしてしまったら、私が自己発信したメールも届かなくなり、あわてて拒否解除をしたことがありますが、自分のアドレスでなければ拒否したままになっているでしょう。
私と同じアドレスで発信できるということは最初理解できませんでしたが、プロバイダーの担当者に苦情を申し入れましたが対策不能ということでした。
メールアドレスでのつながりは、とても脆いものだということを感じました。
創りやすいが壊れやすいのがメールのつながりです。

もう一つ気づいたのは、多くの人が(私も含めて)発信に重点があるということです。
改めて年始メールは読まれないものであることを実感しました。
時代そのものが「情報発信の時代」になっていると思いますが(つまり情報共有ではなく、情報の一方的発信に偏重している時代という意味です)、そうした時代状況がここにも出ています。
みんな発信したがっているのです。このブログもそうですが。

そんなことから、「脆いつながりの時代」と「一方的な情報発信の時代」を改めて実感しています。
この2つは深くつながっています。

しかし悲観的なことだけではありません。
中にはていねいに読んでくれて、いろいろと生きた言葉を送ってくださった方もいます。
これは年賀状ではなかなか難しいことです。
もちろん電話を使えばいいことですが、電話とメールでは行動を起こすバリアは全く違います。
昨年一度しかお会いしたことのない人と何回かのメール交換ができたケースも3人もあります。
思わぬことをお互いに気づきあうことも少なくありません。
情報交換コストがほとんどかからない時代になったことを実感します。

使いようによっては、開かれた対話の時代の到来を予感できます。
情報社会の本質はなかなか見えてきませんが、改めて情報リテラシーの大切さを痛感しています。

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