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2007/01/22

■「司法改革」(朝日新聞社)を読みました

いま日本の司法制度が大きく変わろうとしています。
関係者によれば、明治維新、戦後改革に匹敵するほどの改革だそうです。
その改革に大きな影響を与えたのが日本弁護士連合会(日弁連)です。

日本の司法制度改革の幕開きは1990年だったそうです。
その5月に行われた日弁連の定期総会で「司法改革に関する宣言」が採択されたのです。
私は法曹界とは裁判官も検事も弁護士も同じ仲間だと考えていましたが、
どうもそうではなく、その宣言のはるか前から、日弁連は司法権独立の強化と民主化促進に取り組んできており、しかも「法曹一元化」を提案しつづけていたようです。
これは私の認識不足でした。

日本の法曹界は裁判官を頂点にして、自らの権益を守り、
汗して働いている国民のことなどは真剣に考えていない人たちが主流を占めているものとばかり思っていました。
日弁連が、戦後すぐに司法改革に取り組んできたとは知りませんでした。
反省しなければいけません。

このことを最近出版された「司法改革」(大川真郎著 朝日新聞社)を読んで知りました。

「司法改革」の著者の大川さんは、私の大学の同窓生です。
私は検事になりたくて法学部に入りましたが、
司法試験の無意味さを、少し早とちりしてしまい、その道を早々と放棄した、いわば脱落生です。
その対極にいたのが、大川さんです。

大川さんと再会したのはつい数年前です。
当時、大川さんは日弁連の事務総長でした。
まさに司法改革の中心で激務に取り組んでいた時だったのです。
その時も「司法改革」に取り組んでいる話はでましたが、
どうせ行政改革や政治改革のような実体のないものだろうと私は思っていました。
法曹界の既得権者たちが「改革」に取り組むはずがないと考えていたのです。

私は裁判官はもちろんですが、弁護士にもかなりの「偏見」を持っていました。
弁護士の友人知人は少なくないのですが、付き合いたくないという思いがどこかにありました。
しかし、最近、たてつづけに感動的な弁護士に何人かお会いする機会がありました。
どうも私の弁護士嫌いは学生時代からの先入観だったのかもしれません。
何しろ私は検事志望だったのです。

しかし、裁判員制度に関しては、私は反対論者です。
大川さんともそんな話をしたこともあります。
そのせいでしょうか、大川さんが「司法改革」を送ってきてくれたのです。
ちょうど受け取った日に、このブログ「司法権の独立と刑法のパラダイム」にトラックバックがありました。
裁判員制度徹底糾弾というブログです。

それもあって、ブログに「司法時評」というジャンルを新設しました。
過去に書いた司法関係の記事を、改めて自分でも読み直してみました。
よくまあ口汚く書いているなあと我ながら少し反省する一方で、
大川さんにも感想を聞きたいと彼のことを思い出していたのです。
まさにシンクロニシティです。

そんな状況だったので、すぐに読み出し読了しました。
いかにも大川さんらしく、主観的評価を抑えて具体的かつ資料的な司法改革の経緯を誠実に書いています。
そのため、正直に言えば、法曹界以外の人には難解で退屈なのですが、
その分、大川さんの情念や思いが見えてきます。
視点はいうまでもなく、日弁連の視点ですが、
自らに対しても厳しい事実や資料もきちんと掲載しています。
とてもフェアで好感が持てます。
司法改革の本質が少し垣間見えたように思います。
そういう意味ではとても示唆に富んでいる興味深い本です。
大川さんは、おわりに、こう書いています。

司法改革は、ある特定の組織や勢力がすべて計画し、遂行したのではなかった。(中略)司法にかかわる様々な組織・機関、さらには個人が、21世紀のあるべき司法を目指して、さまざまな立場でせめぎあい、最終的には妥協し、改革の中身が決まったのであった。(中略)しかし、日弁連が司法改革にこれほどの取り組みをしなかったとしたら、できあがった改革の中身は、相当ちがったものになったと思われる。

本書を読むと、その意味がわかります。
そして彼はこう続けています。

日弁連の目的は、すべての人々が個人として尊重される社会を目指し、そのために「法の支配」を社会の隅々まで及ぼすことにあった。この点で日弁連が牽引車として大きな役割を果たしたからこそ、抜本的な改革がなされ、「市民のための司法」がここまで実現したといってよいであろう。
本書の副題は「日弁連の長く困難なたたかい」です。 日弁連の中心になって、改革に取り組んだ弁護士の苦労は大変なものだったことがわかります。

「市民のための司法」。
それがどういうものか、私にはまだわかりませんが、
しかし、否定的に見るだけではなく、もう少し改革の実体を理解してみようと思います。
司法を私たち生活者のためのものにするには、肝心の私たちがその気にならなければいけません。
単なる批判からは何も生まれないからです。

ただ、今の段階では、これまで書いてきた司法批判は撤回する気にはなっていません。
裁判員制度も大反対であることには変わりはありません。

ちなみに、この本はじっくりと読むと面白いと思います。
大川さんの前著「豊島産業廃棄物不法投棄事件」(日本評論社)もそういう本でした。

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