■お金で豊かさを買うのではなく、豊かさでお金を買う社会
もう一度だけ、生き方について書きます。お金と豊かさの関係です。
私たちは、豊かな暮らしのためにお金を稼ごうとしています。
確かにお金があれば、美味しい食事も楽しい旅行もでき、豊かな時間がすごせるかもしれません。
しかし、その一時の豊かさの時間のために、どれほどの豊かな時間や気持ちを注ぎ込んだことでしょうか。
豊かではないたくさんの時間を、わずかな豊かな時間を手に入れるために使っているのではないでしょうか。
お金で快適な家を手に入れることが出来たとして、その家でゆっくりと豊かな時間を過ごすことができている人がどのくらいいるでしょうか。
お金があれば何でも買えるという若者もいましたが、お金で買えないのが「豊かさ」ではないかという気がします。
まあ、「豊かさとは何か」という定義にもよりますが。
お金の多さこそが豊かさの高さを示すのではないかという人もいるでしょうが、豊かではない金持ちも、豊かな生活をしている貧乏人もいます。
私たちの最近の生活は、「お金で豊かさを買う」のではなく、むしろ「豊かさを犠牲にしてお金を稼ぐ」生活をしているのではないかという気がします。
いずれにしろ、お金と豊かさが交換されているわけですが、消費の局面ではなく、労働(生産)の局面で交換されていると考えると新しい風景が見えてくるような気がします。
お金がないから豊かではない、のではなく、本来は豊かな暮らしが出来るはずなのに、それを犠牲にして、その対価としてお金を得ているのが、最近の多くの人のワークスタイルです。
そして、その延長として生活的にではなく、経済的に消費行動をしているのが、若者たちの生き方かもしれません。私には、最近の消費もまた経済活動に組み込まれた貧しさを感じてしまうのです。つまり、消費の局面でも実は豊かさを犠牲にする仕組みが広がっているように感ずるのです。
お金で豊かさを買っていたつもりが、実は豊かさでお金を買っていた。
そう考えてみると、きっと違った風景が見えてくるような気がします。
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