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2007/02/04

■「産む機械」発言を生んだ問題の立て方

先日、このブログに大西さんが次のようなコメントを寄せてくれました。

少子化が困るのは、経済成長にとってマイナスと考えられているからですよね。(ほんとうはプラスにできるかも) それはそれとして、今求められているのは、人々がこどもを楽しく育てたくなる幸せな社会を創るにはどうしたらいいかということじゃないでしょうか。 それは「少子化対策」ではなく、「幸せ化施策」です。 女性就労のサポートだけじゃなく、男たちが会社生活から家庭生活へ軸足をシフトするための施策を、 みんなで考えなければならないと思います。
「少子化対策」ではなく、「幸せ化施策」。 問題の立て方が間違っているというご指摘ですが、全く同感です。

「問題の解き方」と「問題の立て方」とどちらが大切でしょうか。
それらは別の次元の話で、比較するべき話ではないという人もいるでしょうが、両者は深くかかわっています。
さらにいえば、問題をどう設定するかをしっかりと議論していけば、その過程で答が見えてくることも少なくありません。
問題を立てること自体が、実は問題を説くことである場合が少なくないのです。

私の本業は、企業や行政のコンサルティング、昨今の言葉ではソリューションビジネスですが、
そこで一番重要なのは「問題の明確化」です。
ところが残念ながら、日本の社会はそうしたところには対価を払う文化がなく、
問題解決にお金を払いますから、私のビジネスはなかなか成立しないのです。
困ったものです。
脱線してしまいました。すみません。

いずれにしろ、問題がなかなか解けないとしたら、それは問題の立て方が間違っているからです。
そう考えてみると、そもそも「少子化対策」などという問題設定が間違っていることに気が付くはずです。
「少子化」は何らかの問題の結果であり、あるいはシグナルなのです。
大西さんが指摘するように、
「少子化対策」という問題設定をしてしまうと、「女性は産む機械」という考え方が出てきてしまうのはそれほどおかしなことではありません。
そして問題設定が間違っていますから、いつになっても事態は変わりようがないのです。

こうした事例は他にもたくさんあるように思います。
もし「少子化社会」を変えたいのであれば、
大西さんが指摘されるように、男たちが会社生活から家庭生活へ軸足をシフトするための施策を考えていくことだろうと私も思います。
男女共同社会参画の「社会」は会社ではないのですから。

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コメント

最近政府関係の人と仕事をしていて思うのですが、
彼らの仕事は「国」としてのビジョンを立てて、それを実現することですよね。

少子化問題というのは、将来の国の豊かさや勢いを左右する重大な問題なのに、
大臣発言では「国」の問題ではなく、女性「個人」の問題としているような気がします。
国のトップとしての役割を放棄しているのではないか、ということで気になります。

投稿: 鈴木村長 | 2007/02/06 11:17

鈴木さん
ありがとうございます。

全く同感です。

ところで、同じことが野党の対応にも感じられます。
柳沢さん個人の問題にしてしまったら、
大本の政策は何も変わらないと思います。
もっとも大本のところでは、同じなのかもしれませんが。

企業不祥事や行政不祥事もそうですが、
何か問題の立て方が違うように思うことが少なくありません。

投稿: 佐藤修 | 2007/02/06 12:51

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