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2007/02/25

■結果としての格差社会、構造としての格差社会

格差社会論や格差是非論が飛び交っていますが、
そんな退屈な議論とは関係なく、さまざまな格差が不幸な事件を起こしていることは否定できません。
たとえば一昨日のあずみ野観光バスの死傷事故
家族経営による無理な過剰労働が起こした悲劇です。
経営に問題ありと断罪するのは簡単ですが、
過当な競争状況の中で事業を継続していくには身を粉にして働かなければならなかったのかもしれません。
その一方で、不当労働で高利益を得ている人がたぶんいるはずです。
つまり仕事が二重構造になっているのです。
当然、その背後には非連続な権力構造があります。
国際貿易の中でのフェアトレードが問題になっていますが、それと同じ構造が国内にもあるわけです。
問題は結果としての格差ではなく、構造としての格差があることです。

今月北海道で起こったフリーダム十勝の理事長夫妻の悲劇も同じ構造が見えてきます。
この事件は、障害者の自立支援に誠実に取り組んできた夫婦が、
自立支援法によって展開してきた施設の運営が継続できなくなり、
その悩みから夫が妻を殺害し自らも死ぬという惨事です。
フリーダム十勝のホームページをみると、その悲劇がますます哀しく感じられます。

自立支援法に限りませんが、最近の福祉行政にはいろいろの問題が付きまとっているようです。
そこではNPOが格差構造の一翼を担うことがないわけではありません。
サブシステムとして、NPOが便宜的に使われているわけです。
いずれの事件も、当事者たちが疲れきっていたことが象徴的です。

アミネ事件は少し違うような気もしますが、
基準があいまいで、恣意的に結果を出せる不条理な権力構造があるということは、
やはり構造としての格差を感じます。
その構造が経済的な格差を現出することはいとも簡単なことです。

力の格差を解消する方向で進んできた社会が、この数年、逆転してきていることに大きな問題があります。
所得格差などは結果としての瑣末な現象でしかないように思います。
ここでも多くの誠実な生活者は目くらましにあっているような気がします。

いずれにしろ、この国は誠実に生きている人にはとても住みにくい国になってきているのではないかと思わざるをえません。
誠実に生きることを放棄する人が増えてきても仕方がないのかもしれません。
誠実に生きることが難しくなってきているのですから。
もちろん私はそういう生き方が幸せだとはまったく思ってはいませんが。

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コメント

これから投資ファンドに就職する人と話をしたら、とても待遇が良いことを自慢していました。なんでも、運用資金の1.5~2.0%は、何もしなくてもマネジメントフィーとして収入になるとか。500億円の運用ならおよそ10億円です。給料は何千万円は当たり前。投資してキャピタルゲインが得られれば、一人何億円ものボーナスがあるとも。
もちろん真面目なファンドもたくさんありますが、ひたすらカネを追い贅沢を求める人々も少なくありません。
30代の若さで社用車に乗り、次はプライベートジェットだ、と「夢」を語る姿(格差の究極です)を見ると、何故このような極端な世界が出来てしまったのかと嘆息せざるをえません。

投稿: 西浦 裕二 | 2007/02/25 08:12

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