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2007/02/12

■拉致問題と核問題のどちらが重要か

北朝鮮による拉致問題の進展がとまっています。
そのうえ、6者協議では日本が拉致問題にこだわっていることが核問題解決の足を引っ張っているというような声もあるようです。
そこで今日は、生活者的感覚による、拉致問題と核問題のどちらが重要かについての私見です。

前にも書きましたが、私は重要なのは拉致問題解決だと思っています。
その理由はこうです。
「北朝鮮の核武装」はなぜ問題になるのでしょうか。
問題は「新たに核武装」することでしょうか。
しかし、米ソをはじめとした、いわゆる「大国」は核武装しておきながら、なぜ新たな核保有国を認めないのでしょうか。
核拡散条約そのものも、既存の核保有国が核廃棄するということがあればこそ意味を持つはずではないでしょうか。
その動きがない以上、ある国家が新たに核保有することを止めることは、論理的ではありません。
拠り所は核拡散防止条約ですが、国際法の規範性は保証されているわけではありません。現に地球環境問題に関わる条約は米国によって拒否されています。
先ずは自らが核放棄してから、新たな核保有に異議申し立てすべきです。
とまあ、その道の素人である私は素朴に考えます。

もしそうであれば、問題は「北朝鮮」が核保有することが問題ということになります。
ではどうして、北朝鮮であれば、これほどの反対が出てくるのでしょうか。
それは、北朝鮮は国際ルールを尊重しないし、第一、何をやるかわからない国家だから、そんな国家には核を持たせたくないということでしょう。

なぜ北朝鮮はそう思われるのでしょうか。
偽ドルを印刷し、麻薬を生産し、他国の人を誘拐するような国家だからです。
国家が、というよりも、そこの今の為政者ないしは政権がというべきでしょう。
つまり、北朝鮮の為政者ないしは政権が信頼できないということです。

もしそうであれば、その為政者を変えることが問題解決につながります。
つまり、核開発が問題なのではなく、拉致問題のような行為を改めようとしない政権が問題なのです。

となれば解決策は明快です。
金政権を倒せば良いだけの話です。
それは内政干渉だということになるでしょうが、そもそも他国の人を誘拐するのは内政破壊ですから、干渉どころの話ではないのです。
窮鼠猫をかむように、暴発するかもしれないという危惧もありますが、噛まれるマイナスよりももっと大きなプラスをこそ目指すべきです。ねずみに噛まれたところで、たいしたことではありません。予防策だって、いくらでもあります。

だんだんまた暴論になってきましたので、批判されそうですが、誘拐犯人や偽札作り犯人を放置しておいて、何が国際平和だと、素人で無分別な私などはどうしても思ってしまうのです。
しかし、何もフセインのように金正日を死刑にしろといっているわけではありません。
せめて政権維持につながるような支援はやめたらいいということです。
政権を支援しなくとも、北朝鮮人民を支援する方法はいくらでもあるはずです。

つまり問題の設定が間違っているのです。
拉致問題を正さずして、核開発をやめさせても、問題は何も解決しないのです。
拉致問題と核開発。核などという言葉に脅かされてはいけません。
私たちにとっては、拉致問題のほうがずっと深刻な問題ではないかと思います。

私の問題の立て方が間違っているのでしょうか。

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