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2007/02/05

■国会審議拒否の是非

多くの野党が欠席したまま、国会での補正予算審議が進んでいます。
この状況を国民がどう評価するかは、
愛知県や北九州市の選挙結果などから読み解くのはとても妥当とは思いませんが、
幸か不幸か、その結果は一勝一敗の終わり、いずれにも大義を与えませんでした。

わが国の最高決議機関は国会であることを考えると、
野党の多くが審議参加をボイコットすることは、
議会政治というか、わが国の政治体制の危機というべきだと思いますが、
そうした危機感はどこにもないのがとても不思議です。
要するに国会は不要なのかもしれません。

たしかに、与党が過半数の議席を持ち、党議拘束という仕組みによって、その与党に意見は一元化されており、
しかも、その与党を管理(代表というよりも昨今の内閣は与党管理型です)する内閣そのものが対話よりも主張を強行しようとする指向が強いという状況の中では、
国会審議の意味はあまりないといってもいいかもしれません。
小泉政権以来、国会は変質しました。
しかし、本当にそれでいいのでしょうか。

野党の審議拒否は論理的には説明可能ですし、戦術としては成立するでしょう。
しかし、今のような社会状況の中で、多くの国民の共感を得ることはできないように思います。
私はこの戦術は明らかにマイナスであり、
せっかく野党のほうに向きかけた風の流れをまた変えてしまったように思います。
党利党略ではなく、生活感覚で考える多くの国民は、
野党のボイコット行為を頭では理解しても共感はしないでしょうし、
せっかくの議論の場をみすみす無駄に捨ててしまっている野党への信頼感を低下させていると思います。

柳沢大臣の発言は決して個人的な思いの吐露などではありません。
批判している大勢の野党議員にしても、つまるところそうは大きな違いはないように思います。
こんなことを言うと批判されるかもしれませんが、
これは個人の問題というよりも、今の社会体制の根底にある考え方なのです。
そこを履き違えては、事実は見えてこないように思います。
私たちの頭のどこかにある経済優先の発想を、みんなで克服しなければいけません。
柳沢大臣個人の問題に帰すべきことではない、大きなパラダイム次元の問題なのです。

野党も含めて、今の政治家は国民の中には入ってきていません。
中学生の頃、「ナロードニキ」運動を知り、
「人民の中へ(ヴ・ナロード)」という言葉に出会ったときの感動が、今でも鮮明に残っています。
「人民の中へ」という発想がなければ、社会のパラダイムは変えようがありません。
いまの野党に欠けているのは、その発想ではないかと思います。

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