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2007/02/13

■パノプティコン型社会とお天道様型社会

昨日、このブログへのアクセス数が900に達しました。
毎日、100くらいのアクセスで、多くても200を少し超えるくらいなのですが、
あまりの異常値にちょっといやな気分がします。
おそらく誰かが一挙にすべての記事にアクセスしていったのだろうと思うのですが、なぜでしょうか。

ある人からブログはいろいろな人がチェックしているから、気をつけたほうが良いといわれました。
無防備すぎるというのです。
しかし、だからといって、書くのをやめたり、内容を自粛したり、実名を消したりすることは、私の信条に反します。

いま共謀罪や思想チェックの風潮が強まっているといわれます。
であればこそ、実名で堂々と意思表示していくことが大切です。
そうでなければ、共謀罪反対とか管理社会反対などという意味がありません。
自分で、そういう社会を呼び寄せているわけですから。
つまり共謀罪や監視カメラは、そういう人には不要なのです。
そういう自己規制している必要とは、もはや自由を放棄しているわけですから、
そうした法律や監視体制が出来ても何も困らないでしょう。
むしろそうした体制を支援している存在になっているのです。

これに関しては、パノプティコン(一望監視装置)の話がとても示唆に富んでいます。
ミシェル・フーコーは、ジェレミー・ベンサムが考案した「パノプティコン」を引き合いに出して、
新しい権力観を説明しています。
「パノプティコン」に関しては、ウィキペディアに紹介されていますが
簡単に言うとこんなことです。

パノプティコンは、円形に配置された独房で、入り口は円の中心に向けられています。
その中央部は監視室になっており、そこから各独房の内部が見えるようになっていますが、独房からは見ることができません。
そのため独房の囚人は常に監視されている気になり、監視の目を内面化して、自ら行動を律するような「主体」化に迫られています。
そして自己規制して生きていくことになります。

なんだか、最近の日本社会を思わせます。
もちろんフーコーもまた、現代の社会を断じているわけですが。
私のまわりのほとんどの人が、すでにこういう意味では囚人化しているような気がします。
もちろん私自身も、です。

実はこのブログやCWSコモンズのホームページは、
こうしたフーコーのメッセージを少しだけ意識して、監視室の実態を探りたいという意図もあるのです。
まあ、ささやかな囚人のあがきでもあります。

このブログは、書き手の私のことは読み手にはわかっているわけですが、
読み手に関しては私にはほとんど見えてきません。
つまり、私は「パノプティコン」の独房にいるような状況なのです。
そこに自らを置くことは、実は自分自身でもまた自らを監視することができるようになります。
管理室を気にする自分、自己規制しようという自分、など、さまざまな発見があります。

しかし、最近、もっと面白いことに気づきました。
日本文化には「お天道様が見ている」という文化があります。
最近はなくなってきたようにも思いますが、私たちの世代であればきっとどこかに埋め込まれているはずです。
この意識が社会の秩序を維持し、管理コストを縮減し、信頼関係を育ててきたように思うのですが、
この「お天道様」と「パノプティコンの管理室」とはどこが違うのでしょうか。
私はパノプティコン社会に拒否感を持っており、お天道様社会に憧れているのですが、
この二つは結局は同じなのではないかという気がしてきたのです。
なにをいまさら、と笑われそうですが、どうして今まで気づかなかったのか不思議です。

この問題はもう少し考えてみたいと思っています。

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コメント

「パノプティコン」を検索してこちらにたどり着きました。
わかりやすい説明で、私にも理解することができました。ありがとうございました。

せっかくですので私見など・・・
>この二つは結局は同じなのではないかという気がしてきたのです。
「看守=人間=不完全なもの」と「お天道様=神様みたいな完全無欠な理想体」の違いではないでしょうか?
見られるというシステムは同じでも、見るものの違いが、「囚人=見られる人々」に与える感覚を異なるものにしているように私は思いました。

投稿: だけかんば | 2009/03/01 23:36

だけかんぱさん
ありがとうございます。

そうですね。
「見るものの違い」が、システムを全く違ったものにしているのかもしれませんね。
もう少し考えて、またブログに書いてみたいと思います。
とても重要な示唆が含まれているような気がします。

ありがとうございました。

投稿: 佐藤修 | 2009/03/02 09:18

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