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2007/02/09

■「過労死は本人の自己管理の問題」

言葉の問題で国会が機能していない現状を見ていると言葉を議論したくない気もするのですが、
どうしてこう毎日毎日、責任ある人たちからとんでもない言葉が出てくるのでしょうか。
今度は奥谷さん(労働政策審議会分科会委員)の発言です。
「過労死は本人の自己管理の問題」
この発言は奥谷さんの発言全体を踏まえて理解すべきことかもしれませんが、
これに関してすぐ思い出したのが、
日本ヒーブ協議会の、たしか15周年記念フォーラムで講演させてもらった時のことです

ある女性が、「過労死できるほど仕事に熱中できる男性がうらやましい」と本気で主張したのです。
つまり女性は、そういう仕事をやらせてもらえないという指摘をしたのです。
何のためのヒーブかと唖然としましたが、
心の狭い私としてはその女性の会社も日本ヒーブ協議会も以来、全く信頼できないどころか、嫌いな組織になってしまいました。
哀しい女性が多すぎます、などと発言すると、私自身の良識が疑われますが、
最近の政治に関わる女性たちにはどうも信頼感がもてません。
しかし、彼らはジェンダー問題も男女共同参画に関しても、全くその本旨を理解できないでいるように思います。
悪貨が良貨を駆逐するような問題解決の道具にすることは許されることではありません。

人は一人では生きていけません。
昨日話題にした「生・権力」に関して、以前、一度ここでも書いたことがある「社会の喪失」(中公新書)の中で、
著者の杉田敦さんは、

「一部の人間が死ぬことによって多くの人間を活かそうというのが、生・権力の核心ではないか」

と書いています。
これを自動詞で語れば自爆テロであり、他動詞で語ればコラテラルダメッジです。

さて、過労死とはなんでしょうか。
自死とどう違うのか。
果たして社会的な意味があるのか。
それに関してはいろいろな意見はあるでしょうし、状況によって違いもあるでしょう。
しかし、それらが社会の問題を顕在化させる予兆であることは間違いありません。
せっかくの予兆を、個人の問題にしてしまう。
それこそが「組織起点発想」の落とし穴ではないかと思います。

社会のあり方を起点にして個人のあり方を議論するのではなく、
個人の生き方を起点にして社会のあり方を議論することが、大切です。
今はそういう時代なのだと思います。

しかし、こうした問題を議論する人たちのほとんどすべてが、
既存の社会のあり方の上にのって成功した人たちですから、そもそも発想の起点も状況認識も違うのです。
社会の体制から落ちこぼれたしまった者の僻みなのかもしれませんが。

馬鹿は死ななきゃ治らないという言葉がありますが、
利口もまた、死ななきゃ治らないのです。
そして、利口は決して馬鹿の上位概念ではないのです。

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コメント

>ある女性が、「過労死できるほど仕事に熱中できる男性がうらやましい」と本気で主張したのです。

>心の狭い私としてはその女性の会社も日本ヒーブ協議会も以来、全く信頼できないどころか、嫌いな組織になってしまいました。

>哀しい女性が多すぎます、などと発言すると、私自身の良識が疑われますが、

>最近の政治に関わる女性たちにはどうも信頼感がもてません。

こうして並べてみると、ある女性という個人がいつの間にか複数形で語られるようになり、どんどん一般化されている様子が良くわかります。
個人と、その個人が含まれる集団との不必要な同一視は偏見の構図そのままで、恥じるべき考え方だと思います。

投稿: POP | 2007/02/09 17:40

POPさん
ありがとうございます。

ご指摘、同感です。
恥じなければいけません。
これも一種のモンタージュ手法ですね。
気付かぬうちに、陥っていました。

本来無関係な文章をつなげたのが軽率でした。
せめて1行、あければよかったですね。
書いている時も少し違和感があったのですが、
それを大切にしないといけませんね。

ありがとうございました。

投稿: 佐藤修 | 2007/02/09 17:48

同じ女として耳が痛いです。
私は、以前から「女の敵は実は女なんだよねぇ」と思っているのですが、いわゆる男社会に生きていて、そこで働いている女性というのが、実は男性以上にやっかいな存在なのです(実は専業主婦もやっかいです)。
私は、先日、隣課の先輩男性から「女にしておくのはもったいないよ」と“お誉めの言葉”を頂戴しまして、つい苦笑いを浮かべたところです。こういう男性が実に多いです。そして、この言葉をもらう女性側の反応は大きく分けて二種類です。「この考え方は女性蔑視だ」と突っかかる女性と、ほめられたことを喜ぶ女性と、です。
私は心理的には前者なのですが、「ああ、この人はこういう人なんだな」と思うだけで、その場は適当に受け流してしまうことが多いです。ただ、自課に戻ってから、笑い話として周辺の男性諸氏に話して聞かせましたが。
男社会のルールに生きてきて、しかもその社会の中で勝者の位置にある人ですから、そういう考え方をしてしまうことも、ある程度はやむを得ないことです。(以前、佐藤さんも書いてらっしゃいますが)
ただ、それを頭ごなしに否定しても、その考え方を改めることには繋がりません。「せっかくほめてやったのに生意気だ。だから女なんて…」というマイナス効果を生むだけです。
彼らからしてみれば、女というのは異文化なのです。金髪碧眼の人が箸を使っているのを「上手ですねぇ」と誉める日本人のようなものなのです。ですから、少しずつ、“変な外人”の位置を脱却して、私が私として評価をいただけるように、粘り強く努力することが実は最善なのだと思っています。

そんなわけなので、先の“誉め言葉”に喜ぶ女性があるのは困りものです。それは“名誉白人”と呼ばれて喜ぶ日本人にも似て、非常に不快です。
私は、男社会の中で、男性と同じようになりたいと思っているわけではないからです。仲間になることと、皆と同じになる(見せる)ことは、全く別のハナシなのです。
色が違うというなら、それはそれで結構。お仲間に入れてもらうために、自分の色を変えて白く擬態しなければならないなら、そんな仲間に入れてもらうなんて、こちらから願い下げなのです。私がほしいのは、私を私として見てくれる人なのですから。

本論とは少し違うところで、長々と書いてしまいましたが、先日来の「産む機械」「女性を代表して」などの発言に関する佐藤さんの言葉を読んで思っていたことです。

投稿: 小川美鈴 | 2007/02/09 21:17

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