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2007/03/05

■冤罪を生みだした検事や警察はなぜ裁かれないのでしょうか

今朝の朝日新聞に富山冤罪事件の被害者への取材記事が出ていました。
富山冤罪事件は、富山県警は1月19日、懲役3年の実刑判決を受け服役した県内の男性(39)が無実だったと発表しました。これが富山冤罪事件です。
いろいろなサイトで取り上げられています。
たとえばこのサイトをご覧ください

こうした冤罪事件は、今もかなり多いような気がしますが、それを正す方策がほとんど行われていません。
それを放置しておいて、司法改革などはないと思いますが、
警察の民主化は大きなパラダイム転換をしなければいけませんから、統治側、つまり政府は本気では手をつけないでしょう。
時代は暴力的な支配社会からパノプティコン型の自律社会へと向かっているとはいうものの、逆のそうした状況の中では暴力的な支配構造は見逃されやすくなります。
冤罪はそうした典型的な事例の一つです。誰も、そんなことはあるまいと考えてしまうわけです。
裁判員精度の前に、こうした状況にこそ目を向けるべきですが、そうしたことを隠すためにこそ、裁判員制度は話題にされているというべきでしょう。
そこに法曹界の闇があります。
司法の役割は、秩序維持ですが、それは正義論とは別の話です。

新聞報道では、県警や富山地検はそれぞれ「故意または重過失ではない」「職務上の義務に反したわけではない」と、当時の捜査関係者を処分しない方針を示しているといいます。
なんということでしょう。
権力を傘にきた悪代官そのものの構図が今も存続しているのです。
しかも彼らがおかした「犯罪〕の償いは、私たち税金から支払われることになっています。
彼らこそ犯罪者として断罪すべきです。
しかし彼らは重過失罪にも問われずに、これからも平和に生活していけるのです。
パサジェルカの世界です。

なかには熊本さんのような方がいるかもしれませんが、問題は構造の問題です。
権力に支えられた仕事とそうでない仕事は、恐ろしいほどに違うのです。
しかも、だれでもが冤罪の被害者になりうるのです。
恐ろしいと思いませんか。

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