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2007/03/09

■「鹿児島地検が12人全員の控訴断念」という表現

新聞を読んでいて、時々、あれっ、と思うことがあります。
たとえば、今朝の朝日新聞にこんな見出しがあります。
鹿児島地検が12人全員の控訴断念 
鹿児島県議選で公選法違反の罪に問われた12人全員が無罪になった事件に関する話です。
私が気になったのは「断念」という言葉です。
この事件の真実は、もちろん私には判断できませんが、
控訴を断念したという表現だと、本当は有罪なのだが証明できないので控訴を断念したというようなニュアンスを感じます。底に検察の無念さ、悔しさを感じます。
つまり、裁判では無罪だったのだが、本当は有罪なのだという意味が言外に感じられるということです。
それもそう強くではなく、無意識の次元での話です。
一種のサブリミナリー効果です。
同じ新聞に、この事件に関連して、「警察庁は、全国の都道府県警察に綿密で適正な捜査を徹底するよう通達を出した」という記事が出ています。
この記事は、警察による不適正な捜査の存在を認めているわけです。
警察による不適正な捜査が人権を踏みにじることがあれば、それは立派な犯罪ですが、権力の犯罪の多くは、秩序維持の大義のもとに見逃されるのがほとんどですから、実際には裁かれる犯罪にはなりません。
この2つの記事が含意することをつなげて考えると、いささか末恐ろしい未来が見えてきます。
いや、未来ではなく現在というべきでしょうか。

新聞の見出しは、現場記者ではない人がつけると聞いていますが、
見出しのメッセージの影響の強さを考えれば、もっと慎重であるべきでしょう。
どの視点で記事を総括するかで、メッセージは全く変わってくるはずですから。
ジャーナリストの視点は、常に権力批判的なところに置かれていないと、権力側にとってもその対象側にとっても、良い結果を生まないでしょう。
そうしたことをジャーナリストはもっと認識すべきではないかと思います。
この見出しは、「鹿児島地検控訴せず反省」としたいですね

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