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2007/03/23

■制度にあわせる生き方からの脱出

昨日、最後に、生き方を決める基準はなんだろうかと書きました。
生き方の基準がない人が多くなってきているように思いますが、
そういう人にとっては「制度」(法律もその一つです)に合わせる生き方があります。
問題が生じたら制度のせいにしたらいいのですから、極めて都合のいい生き方です。
最近は、その生き方が大勢を占めているのかもしれません。
いや社会全体が「制度に合わせる生き方」を指向しているともいえるでしょう。
それが「近代化」の一つの側面なのかもしれません。

きのくに子どもの村学園という学校があります。
「学校に子どもを合わせるのではなく、子どもに学校を合わせる」という理念に基づいて、創設され運営されている学校です。

ここには大きな発想のパラダイムシフトがあります。
近代の学校はすべて「子どもを学校に合わさせる」発想です。
それが「教育」であり、「教育施設」のミッションだったからです。
個性豊かな子どもたちは、そこで社会の一員として育てられるわけです。
個性が強すぎる子どもは逸脱せざるをえません。

ところが、この学校は子どもたちの多彩な個性を起点に発想します。
一人ひとりの子どもの育ちを支援するために、何が出来るか、何をするかを決めていきます。
そして、生徒である子どもたちの個性に合わせる形で、カリキュラムが設計され、プログラミングされます。
全体から考えるか、個から考えるかの違いです。
個から考えて、全体を構築するのは大変なエネルギーが必要になります。
しかし、全体がうまく構築できれば、管理コストは大幅に縮減できるでしょう。

そもそも個性豊かな子どもたちを一つの制度に合わせさせること自体、無理な話なのです。
かつてのように、管理がアバウトだった時代にはなんのとか矛盾は克服できたでしょうが、最近のように管理が追及され、親の目も届きすぎるほどに届くようになると、逸脱行為は許されなくなってしまい、矛盾は破綻へとつながります。
最近の学校の乱れは、そうしたことの必然的な結果です。
教育再生会議がいくらがんばっても解決できることではありません。
逆に状況を悪化させることになりかねません。

最近の企業も同じです。
企業の実態に合わせないと従業員はつとまりません。
おかしさに気づいても、それを自己納得させないと企業ではやっていけないことが多いからです。
企業は盛んに「企業変革」を口に出しますが、本気で変革しようなどということにはなりません。組織には根強いホメオスタシス機能が働いているからです。
もし本気で企業変革するつもりがあれば、企業を変えるのはいとも簡単なことなのです。企業のパラダイムを変えればいいだけです。
みんなが企業という制度に合わせてしまうと、その企業そのものがパワーを失ってくる時代になってきています。

しかし、制度に合わせた生き方から抜け出す動きも広がっています。
いわゆる「当事者主権」の動きです。
コムケア活動でさまざまな活動に触れる機会がありますが、障害を持つ人たちや社会的弱者といわれる人たちが、自らの声と行動で、制度を変えようとする動きの広がりです。
今のところ、必ずしも成功している事例ばかりではありませんが、制度に合わせて自らを抑えるのではなく、制度を変えようと働きかける人が増えているのは間違いありません。
そして、そうした動きこそが、制度そのものの価値を高め、制度を活かしていくことにつながりだしているように思います。

時代はどう展開していくのか。
それは私たち一人ひとりの生き方にかかっています。
時には制度に合わせることも大切ですが、時には制度から逸脱し、制度を変えるように働きかけていくことも大切です。
制度に合っているからなどという、主体性のない言い訳だけはしたくないものです。

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