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2007/03/26

■「貧乏はいただきもの」

「貧乏はいただきもの」。
この言葉は、私の友人が創った言葉です。
彼女(その友人は女性です)は、たぶん貧乏なのです。
しかし、たぶん「豊かな人」でもあります。
病気を克服した人から「すごく大切なものを、病気から『いただいた』と思う」と聴いた時に、この言葉がひらめいたそうです。
それ以来、貧乏が一気に楽しくなってしまって、「もう一生貧乏でもいいや」と思ってしまったのだそうです。彼女は、「それはそれで、問題の多い人生哲学ですが」とシャイに語りますが、いやいやどうして、悟りに近い人生哲学ではないかと思います。
かのラスキンもきっと拍手してくれるでしょう。

この言葉の生みの親である「病気はいただきもの」の心境は、私たち夫婦の実感でもあります。
これに関しては、以前、CWSコモンズにも時々書きました。
柳原和子さんも同じような言葉を書いてきてくれたことがあります
病気をプラスに転化させることは、そう簡単なことではありませんが、マイナスに受けとめてしまうと、その呪縛から抜け出られなくなり、免疫力を低下させかねません。
そうはいっても、柳原さんですら、時には嘆くこともあるでしょうし、女房は落ち込むこともあります。
いつもポジティブシンキングを維持できるわけではないのです。

しかし、少なくとも女房の病気のおかげで私たち夫婦の生活は大きく変わりました。
そして見えてきたことはたくさんあります。
人の優しさ(と時に忙しさ)も見えてきました。もちろん自分たちも含めて、です。
何よりも、これまでの生き方が良かったのかどうか、
いささかの不安を持ちながら、いまの生き方を正したいという気持ちは高まりました。
非礼で傲慢な自分も少し見えてきました。

コムケア活動に取り組んで実感したことの一つは、
ケアマインドは、ケアされる立場にある人ほど強いということでした。
自らがそうなって初めて見えてくることがたくさんなるのです。
この3年半、痛いほど実感しました。

「貧乏はいただきもの」。
この言葉で、1冊の本が書けそうですね。
いや、新しい歴史が始まるのかもしれません。
ガンジーの反近代化活動は、そこから始まったのかもしれません。

ガンジーの、自らの生命を脅かすまでの断食行為は、
飢餓に直面している貧しい人たちとの壁を壊すためだったという人がいます。
そしてそれは見事に成功したわけですが、しかし不可触民との壁は破れず、アンベードカルに糾弾されました。
アンベードカルは「ガンジーは断食など止めた方がいい。無駄死にをするだけだから」と言ったそうです。
ガンジーほどの人でも、「いただきもの」としての「不可触民」との距離は越えられませんでした。

しかし、この世のすべては「いただきもの」かもしれません。
すべての人に「いただきもの」は与えられるのでしょうが、その中身はそれぞれ違うのです。
ガンジーとアンベードカルに贈られたものは違っていたのです。
「貧乏」もまた、それぞれにとって違うものなのかもしれません。

人生そのものも「いただきもの」だと思えば、きっと生き方が変わります。
粗末に扱うことなどできなくなります。

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