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2007/03/24

■「病を治すものは自然である」

昨日の朝日新聞の天声人語に、タミフルの問題に関連して、こんな文章がありました。

ヒポクラテスは「病を治すものは自然である」という説を立てたという。治療法として自然の回復力を重んじつつ、病人や症状についての注意深い観察の大切さを説いた。

ヒポクラテスは、ギリシャ時代の人で、医学を科学として確立した「医学の祖」と言われています。

現在の医療体制には大きな違和感があり、素人ながらいろいろと考えることが多いのですが、
そうした関心から昨年春に私も「ヒポクラテスの会」を立ち上げて、公開フォーラムを開催しました。
しかしその直後、女房が胃がんを再発し、あまりに当事者になってしまったために、
精神的余裕を失い、この会の活動はストップしたままになっています。
会づくりを少し急ぎすぎたため、組織体制ができていなかった結果です。

その後、女房の病気の関係で、当事者的にいろいろと病院体験をしており、いろいろと考える機会が増えました。
書きたいことが山のようにありますが、その反面で書く気力が出てこないという奇妙なジレンマに陥っています。
近代医学や現在の病院への大きな失望感と無力感を、ドサッと背負い込んでしまった感じです。

しかし、この文を読んで、「病を治すものは自然である」ということを私たちはもっと認識しなければいけないことを改めて強く思いました。
ヒポクラテスの会も再開したいと思っていますが、どなたか協力してもらえるとうれしいです。

女房の状況を見ていると、まさにこの言葉が当てはまります。
ちなみに、「自然」には人間の生活やふれあいも含まれていると私は考えています。
アガンペンの言葉を借りれば、ゾーエ(生物的にただ生きている存在としての「素直な生」)としての人間の関係性もまた、広義の自然に含まれると考えるからです。
自然と人間を分けて考えている限り、この言葉は真実味を持ってこないような気がします。
そうした人間さえも含む自然のなかで、私たちは生きています。
ですから病気になるのも病気を癒すのも、基本は自然であることは間違いありません。
そして「自然の治癒力」はとても大きく、時に「奇跡」を起こすはずです。
もちろんそれは、「奇跡」などではなく、小賢しい人智を超えた摂理なのですが。

天声人語は、続いてこう書いています。

ひとりひとりの患者の症状をよく診る。そしてその患者にふさわしい処方をすることを、現代のヒポクラテスたちには期待したい。

日本の現在の病院には「標準治療」という発想があります。
私はこの概念を知った時に、愕然としました。
もし患者の家族ではない時であれば、すんなりと受け入れられたかもしれません。
しかし、患者の視点で考えると、これは結構「冷たい」発想なのです。
昨日書いたことに重ねていえば、これは「制度に合わせた処方」と言えるかもしれません。
私も、天声人語に書かれているように、「その患者にふさわしい処方」を基準にした医療の仕組みが実現できることを願っています。

患者が求めているのは、検査や所見ではなく、治癒なのです。
触診さえしない病院や医院が増えています。
元気づける一言や心和らげる笑顔こそが、最高の治療かもしれないと、最近痛切に感じます。

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