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2007/04/05

■多数決は民主主義とは無縁

直接民主主義を追及しているリンカーンクラブ代表の武田文彦さんとは、民主主義と多数決原理について、よく論争します。
もっとも発想の起点が違うので、議論にならずに言葉の応酬になりがちで、平行線で実りの少ない議論ですが。

多数決は民主主義とは無縁だと私は思っています。
民主主義は「思想」であり、多数決原理は「手段」だと思うからです。
民主主義が実現しているところの多数決結果と情報操作が行われたり、強力な権力者がいたり、大きな格差があるような社会の多数決結果は全く違うものになるでしょう。
未練がましいですが、郵政民営化が多数決で決まりましたが、みんなが情報を共有し、熟議が行われていたら違っていたはずです。
あれは多数の声が実現したのではなく、少数の利権者が多数工作をしただけだと、私は今でも思っています。

民主主義とは「少数派の発言の機会が保証されていること」と言ったのは、ジョン・S・ミルだそうですが、
私はそれに加えて、不条理な格差がないことが大切な要件だと思います。
「保証」の意味に含まれているのかもしれませんが。
もっとも、「少数派」とは何か、「不条理」とは何か、も問題です。

民主主義は、一人ひとりから発想して全体を構築する思想だという捉え方もできます。
そうなると、社会の構造原理は今とは全く違ってきます。
繰り返し書いているように、これまでの社会構造原理は、全体(社会)を起点として発想しています。
統治者や管理者や研究者の視点です。

個人起点で考えると社会の構築の仕方は一変します。
先日、地方議会不要論を書きましたが、
コモンズ型の地方議会をモデルに国会を構想すると、たぶん新しい地方議会の存在価値が生まれてくるでしょう。

物事を考える発想のベクトルを逆転させなければいけません。
そして、いまはそうしたベクトルの転換が求められているように思います。
転換してしまうと、今の時代は住みにくくなりますが。

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