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2007/04/20

■経営における道徳性

夕刊を見ていたら、電力各社のデータ改ざんや隠蔽などの不正問題を調べていた経済産業省が計50事案を特に悪質な法令違反と認定した、という記事が出ていました。
経済産業省こそ問題なのではないかという気もしますが、それはともかく、いわゆる「公益企業」といわれる電力会社ですら、こういう状況が依然続いていることには驚きを感じます。
こうしたことが問題になってから、もう数十年もたつのに、事態は変わっていないのです。

そこには、「産業のジレンマ」の構造が、フラクタルに存在しています。
経営学やカウンセリングにも、また同じような「ジレンマ」があるのでしょう。
企業の目的は「顧客の創造」であるという定義(これこそが「産業のジレンマ」の出発点です)を読んで以来、どうしても好きになれない経営学の泰斗、ドラッカーは、現在の産業パラダイムの中では最高の経営学者だと思いますが、そのドラッカーは1954年の著書“The Practice of Management”のなかで、こう書いています。

経営層によい精神を生ましめるために必要なものは、道徳性(モラリティ)である。そして、道徳性は、人々の長所を強調すること、高潔を強調すること、正義を重んじ、高い行動の標準を創ることを意味する、

近代広報の父といわれる、アイ・ビー・リーは、広報の本質を「フランクネス」といっています。隠すことのコストは以前書きましたが、コストの問題以前に、それは道徳性に関わることです。

道徳性がなぜ必要かは2つの理由があります。
まずソーシャル・キャピタルの視点からの価値です。
ソーシャル・キャピタルが高まれば、さまざまな意味で経済的なコストは削減され、人間的な安寧さが高まります。
道徳的であることが、現在の経済パラダイムにおいてさえ、実は最も経済的なのです。

個々人の立場からも、道徳性は価値があります。
道徳的であることは個人に生きやすい状況を提供してくれます。
人が一番、生きやすいのは周りの人の長所と付き合うことです。
これは私の体験からほぼ間違いないと確信しています。
長所だけ見ていたら、すべての人が善人に見えてきますから、毎日が幸せです。
自らが好んで嘘をついたり、明らかな不正義を犯そうとしたりする人は通常はいないでしょう。
そういう行為を行わざるを得ない事情が、それぞれにあるのです。
あるいは、自らの行為の意味が理解できていないのです。
最近の銃の事件も、その例外ではないでしょう。

念のために言えば、そうした考えであればこそ、私は犯罪行為には厳罰が必要だと思っています。
犯した罪よりも、重い罰が与えられなければ、人は救われないと思っています。
ですから、殺人を犯した人は、死刑以上の罰を受けるべきです。
雑な言い方ですみませんが、現代の刑の与え方はあまりにも軽すぎます。
それは冤罪なども含めて、裁判の監視の仕組みがないことと無縁でないようにも思いますが。

友人が始めた「経営道」運動に関わっていますが、どうもどこかで設計ミスがあるような気がしてきています。
そろそろ経済や産業のパラダイムを考え直す時期に来ているような気がします。
同じような企業不祥事のニュースを、いつまでも繰り返し読みたくはありません。
経済同友会が経営者の社会的責任を提言した1956年から、日本の企業の経営者は少しは前進しているのでしょうか。

そろそろ「企業のあり方」を考えなおす時期に来ているのではないかと思います。
経営論の時代ではなく、企業論の時代です。

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