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2007/04/19

■「戦争は今や永続的な社会関係にまでなりつつある」

イラクにはなかなか平和が戻りません。
昨日もバグダッドで5件の連続爆弾テロがあり、170人以上が死亡したといわれます。
フセイン時代以上に、イラクはいま戦争状態です。

戦争は20世紀に入ってからも、2回にわたり大きな変質を起こしました。
最初は、いわゆる総力戦への移行です。
それまでの軍隊による戦争が国家全体の争いになったのです。
そこではもはや戦闘員と非戦闘員の区別はつかなくなります。
国家の戦争には否応なく巻き込まれてしまうようになりました。
良心的兵役拒否の動きはありましたが、それは感動的ではあるものの、
どこかに裏切りのにおいがしなくもありません。
さらに悪いことに、被害者は非戦闘員のほうが多くなる傾向が出てきます。
先に問題になった沖縄での集団自決などはそうしたことの一つの表れです。
手を下したのは敵軍ではなく、自軍なのです。
対立の構図が変わったわけです。

そして20世紀末に戦争はさらに変質します。
戦争が「事件」から「状態」に変化してしまったのです。
20世紀前半までは、国家間の総力戦になったとはいえ、戦争は一時期の事件でした。
戦争が終結すれば、平和が訪れたのです。
1945年以降の日本の昭和時代は、まさにその最後の平和の時代だったのかもしれません。
しかし、次第に戦争は状況になってきます。

このあたりは、アントニオ・ネグリの「帝国」や「マルチチュード」にわかりやすく書かれています。
ちなみに、この「マルチチュード」は批判もありますが、現代を読み解く視点をたくさん提供してくれます。
その「マルチチュード」の表現を使わせてもらえれば、
戦争と政治の区別はますます曖昧になり、「戦争は今や永続的な社会関係にまでなりつつある」というのです。
とても納得できます。

イラク戦争は終わったといわれますが、その後も戦争状態は継続し、死者は決して減少していません。
「戦争とは別の手段による政治の継続である」とクラウゼヴィッツは言いましたが、
最近では、「政治そのものが別の手段によって実施された戦争」とも言われるのだそうです。

戦争が変質したのです。
そして敵もまた変わったのです。
こうした文脈で、時代を読み解いていけば、さまざまなことに気づくはずです。
昨日起こった不幸な銃殺事件、イラクでの日常的な爆弾テロと軍隊による市民虐殺事件。
それらはつながっています。

戦争の変質を踏まえて、政治も変わらなければいけません。
そして平和運動も変わらなければいけません。
しかし、戦争を推進している日本の政治家も、
それに抗して平和運動を展開している平和運動家も、
これまでと同じ発想で、活動に取り組んでいるように思えてなりません。

ちなみに、私の平和運動はコムケア活動なのです。
4月22日に、その集まりがあります。
面白い実践者たちが集まるフォーラムになりそうです。
よかったらぜひ参加してください。
そして声をかけてください。

戦争状況から脱するためには、人のつながりをリゾーミックに育てていくしかありません。
それこそがこれからのソーシャル・キャピタルです。
政治はもちろん、経済のパラダイムが変わらなければいけません。
その一歩を私たちは踏み出すべき時期に来ています。

今日の朝日新聞の天声人語にノーマン・メイラーの言葉が引用されていました。
「次の世代のために毎日の小さな変化を積み重ねていくのが民主主義」。
小さな一歩を積み重ねていければと思っています。
疲れますが。


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