■不幸と幸せはコインの表裏
コミュニケーションの出発点は自らの弱さ(ヴァルネラビリティ)を見せることだということは以前、金子郁容さんから学んだことです。
金子さんが安積遊歩さんたちと一緒に東中野で障害のある人の支援活動をしている時のことです。
私もささやかに協力していました。
その時に学んだのは、ヴァルネラビリティとアファーマティブアクションです。
その二つは私にとっては、コミュニケーションのことを考える上で大きなヒントになりました。
以来、体験的にヴァルネラビリティ効果の確かさを納得しています。
この数年、私の弱さは見えすぎるほど見えていますので、逆に私もまた周りがよく見えてきました。
見るという行為は一方的な行為ですが、「見える」ということは双方向的な関係です。
昨日、友人から家族の「不幸」を曝けだすメールがきました。
その友人は、何か問題がありそうなのに、とても明るく振舞っているので、軽く考えていましたが、思いもしない問題を抱えていました。
その友人から「生きている気力って何?」と質問されて、驚きました。
そんなだったのかという驚きです。
気づかなかった私は友人失格かもしれません。
笑顔の後ろに、みんなそれぞれの問題を抱えているのです。
久しぶりに会った、幸せそうな家族的な友人が、後で離婚していたことを知りました。
あの幸せそうな素振りは、その裏返しだったのかもしれません。
それに気づかなかった私の感受性のなさにショックを受けました。
突然訪ねてきた人がいます。なんでもない話をして帰りました。
なぜわざわざ来たのかなあと思っていたら、知人から彼は結構切羽詰っているのだと聞きました。
その人は初対面だったこともあり、私はあまり弱みを見せませんでしたので、心を開けなかったのかもしれません。
反省しなければいけません。
自治会の会長をやっているといろいろなことに触れる機会があります。
良いことばかりではありません。
昨夜も電話がありました。もう自治会長は次に人に回したのですが。
お話を聞くといろいろあります。
わが家とはかなり離れているところの、会ったこともない人ですが、近隣社会が壊れていることから発生した問題の相談です。
自治会長時代には気づきませんでしたが、その気になれば気づいたはずの問題です。
自分の問題で精一杯だったので、見ないようにしていた自分がいたのでしょう。
恥じなければいけません。
長々と書いてしまいましたが、この半年、こういう話が毎週のように舞い込んできています。
ここに書いた話は、いずれも深刻ではないほうの話です。
みんなそれぞれに問題を抱えていることを実感しました。
いつの時代も、こんなにみんな問題を抱えていたのでしょうか。
「生きる気力」を訊いてきた友人に、こう返信しました。
どこの家も外から見ると平和そうでも、中に入るといろいろ問題はあります。 わが家にもいろいろあります。 そうした悩みも含めて、それこそが人生です。
私よりも辛い状況にいる女房は、
みんなそれぞれにがんばっている。私もがんばらなくては。
といつも言います。
病気になってから身につけた、女房のポジティブシンキングスタイルです。
「病気はいただきもの」と考えるかどうかで、その人の幸せは決まります。
外から見える幸せと中にある悩みや哀しさ。
外から見える不幸と中にある幸せ。
不幸と幸せはコインの表裏かもしれません。
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