■地産地労の思想
今朝、みのもんたさんのテレビを見ていたら、夕張市が話題になっていました。
みのさんが夕張市を訪問した時に、市役所を退職されて、まだ新しい仕事が見つかっていない人が、「30分くらいで通える仕事はなかなか見つからない」と話したそうです。
みのさんは、それに対して、東京では1時間から2時間かけて通勤しているのが普通なのに、30分以内で探すとは真剣さが足りないのではないかと怒っていました。
それに対して、コメンテーターの池上淳さんは、「1~2時間かけて通勤するほうがおかしいのではないか」と発言しました。
少しすれ違った議論ですが、とても重要な問題を提起しています。
「地産地消」が流行になっていますが、私は「地産地労」こそが大切ではないかと思っています。
地産地労が実現すれば、おのずと地産地消も進むはずです。
そういう視点からいえば、池上さんがいうように、通勤に1~2時間かけることこそ問題です。
東京の悪しき常識を押し付けてはいけません。
発想のベクトルは逆転しているのです。
それに、環境問題も地域社会の荒廃も、たぶん子育て問題や介護問題も、すべてはここにつながってきます。
職住接近という言葉もありますし、ワークライフバランスも議論されだしています。
そうしたことも含めて、改めて私たちの働き方や「仕事とは何か」を考えるべきです。
よく地方には仕事がないといわれます。
そんなことは全くないというのが私の昔からの考え方です。
仕事がないという時の「仕事」とは「賃仕事」です。
つまりお金をもらえる仕事です。
価値を生み出すということを仕事と考えれば、その気になれば、どこでも仕事はあるのです。いや創れるのです。
金銭の呪縛から解放されれば、仕事はいくらでもあります。
そして、すべての人が、子どももお年よりも病人も、価値を生み出す仕組みがある社会こそが健全な社会ではないかと思います。
私がコムケア活動で目指しているのは、まさにこうした社会です。
「お客様」のいない社会といってもいいでしょう。
私たちはいまの生き方にあまり疑問を持たずにいることが多いです。
みのさんは湘南の自宅からテレビ局まで自動車で送り迎えでしょうから、通勤時間の意味は実感されていないかもしれませんが、毎日往復に3~4時間かかる生き方は、どう考えても異常です。
無駄の多い、環境負荷の高い生き方です。
失業してもなお、30分のところで仕事を探す。そんな甘いことを言っていて良いのかという、みのさんの怒りはわかりますが、視点を変えれば、彼らのほうが豊かなのかもしれません。
第一、賃仕事しなければ生きていけない東京とは違って、たぶん彼らはどうにかなるのです。
それが実は社会が成り立っている証ではないかと思います。
地産地労を壊したのは、産業革命以来の資本主義です。
生活と切り離して仕事を工場に集めたのです。
そして、その先に生まれたのが、「消費」を「仕事」に優先させる経済の仕組みです。
さらに、それが「仕事」とは切り離された「金銭」によって主導される経済になってきたのです。
こうした流れの中には、個人の「生活」は見えてきません。
「生活」を基軸にした新しい経済の仕組みを再構築していくことはできないものかどうか。
それが私の関心事です。
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