■不都合な結果は有権者の「誤解」のせい
高知県東洋町長選で、放射性廃棄物最終処分場受け入れ推進派の現職が落選したことについて、甘利経済産業相が記者会見で「(有権者が)誤解をしたまま賛否が諮られると、当然こういう結果が出る」と述べたというニュースには驚きました。
これは有権者を馬鹿呼ばわりしている話であり、受け入れが正しいと決め付けている話です。
馬鹿な住民たちが、理解もしないで反対していると甘利さんは考えているのでしょう。
類は類を呼ぶのでしょうか。
こうした人たちがいまの閣僚には多いように思います。
「住民参加」とか「住民参画」とかいう言葉があります。
この二つは違うらしいですが、そんな小賢しい議論に騙されてはいけません。
もっと大切なのは、そこでの住民は誰かなのです。
一時期、「住民」ではなく「市民」という、これまた小賢しい議論が広がったことがありますが、これもまた騙されてはいけません。
こうした瑣末な議論には共通した発想があります。
つまりこうです。
政府やお上や有識者の考えに楯突くのは、無知で誤解している馬鹿な住民という発想が、そうした議論の根底にあるのです。
ですから、予め「賢い」市民をあつめて、タウンミーティングを開催し、計画にまで参画させるスタイルをとってきたわけです。
市民は「賢い」ですから、無理は言わないのです。いや、無理を言わない人が「賢い」人なのです。
もし彼らが楯突くようであれば、目先の利益しか考えていない住民エゴと切り捨てればいいのです。
しかし、今回の事件は、むしろ受け入れが目先の利益論でしたから、この論理は通用しません。
ですから「誤解」という理由が考えられたわけです。
誤解しているのは自分ではなく、住民だと決め付けるのはなぜでしょうか。
甘利さんにはきっとたくさんの情報があるでしょうし、「頭の良い」官僚や貪欲な学者が取り囲んでいるのでしょう。
しかし、その情報は実際の生活や文化で培われてきた情報に比べたら、どれほどのものでしょうか。
間違いなくほんのわずかな情報ですし、身勝手な編集で集めたものでしかありません。
甘利さんの家族の住んでいる地域の首長が、受け入れを決めたら、甘利さんはどうするでしょうか。
今の政治家には、そうした視点が欠落しています。
学者たちも自らの生活と無縁なところで考えています。
それはいつの時代も変わりはありません。
水俣や四日市を思い出せばいいでしょう。
熊本大学にいた原田さんのような生活とつながった学者も、もちろんいますが、そうした学者は決してメジャーにはなれません。ましてや本当の意味での、政策形成にはかんよすることは出来ないでしょう。
書いているうちに、だんだん腹が立ってきました。
笑顔を忘れるなとつい一昨日書いたばかりなのに、困ったものです。
誰が一番賢いのか。
そして行政とは、どの視点で考えるべきなのか。
これまで何回も書いてきましたが、相変わらず甘利さんのような人たちが政治を押さえている現実を知ると、疲れがドッと出てしまいます。
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