■国民投票法をつくって何が悪いのか
憲法改正の手続きを定める国民投票法をめぐる論議が続いています。
多くの人は、単なる手続法だからどうでもいいではないか、それにどうせ必要なのであれば早く決めればいいではないかと思いがちです。
教育基本法改正だって同じです。
今の教育には問題が多いのだから、その改善のために基本法を見直すのは当然ではないかというわけです。
障害者自立支援法も、なぜ反対するのか理解できない人は多いでしょう。
障害者の自立を支援することのどこが悪いのか。
そうやって、次々と法律が生まれていきます。
法律ができるとそれを施行するための行政組織が必要になりますから、政府はどんどん大きくなります。
さて、法律が出来ると何が変わるのでしょうか。
いろいろあるでしょうが、間違いないことの一つは、法律に通暁している人が行動しやすくなることです。
法律に通暁している人は、たぶん法律が対象にしている普通の国民ではありません。
もしそうであれば、またそれを目指しているのであれば、現在の法律のように「難しい」「多義的な」条文ではなく、もっと短くわかりやすいものにするはずです。
そうでないということは、要するに法律専門家や法律を基準に行動する行政人や、法律を悪用する犯罪者が法律の一番の使い手ということになります。
ちょっと飛躍がありますが、まあ、そう大きくは違わないでしょう。
すくなくとも、法律は決して「国民」のためにあるのではありません。
国民を「統治する」ために、あるいは「統治される」ためにあるのです。
国民投票法は手続法といわれますが、法律はすべてが手段で、基本的には手続法といってもいいでしょう。
統治手続法ということです。
一般には、法律関係それ自体の内容を定める実体法と、実体法が定める法律関係を実現するための手続きを定める手続法、というように区別しますが、よく考えてみれば、法律は価値判断をするための拠り所であり、個人や組織の行動を律したり評価したりするためのものですから、実は実体法と手続法はつながっているはずです。
しかし、なぜか「手続法」と言われてしまうとついつい内容には目が向かなくなりがちなのです。
法律を変える場合、「改正」と「改悪」がありますが、変えようとする側は決して「改悪」とは言いません。
ですから法律を変えることは、いつの場合も「改正」です。
しかし、法律を変える場合、誰かにとっては有利になり、誰かにとっては不利になることは言うまでもありません。法律は価値配分の基準になるからです。
しかし、たとえば「教育基本法改正」という言葉には、状況が良くなるという意味合いが強くこもっています。
内容も読まずに、なんとなく賛成してしまうのが多くの人かもしれません。
ましてや「自立支援法」などといわれれば、反対のしようがありません。
そうした言葉の魔術のなかで、実は私たちを取り巻く管理環境は厳しくなる一方です。
それが法律を整備するという意味なのです。
憲法改正は何も憲法条文を変更しなくてもできることです。
法論理的にさえ、今回の国民投票法は憲法を変える内容になっていると思いますし、たぶん教育基本法「改正」もまた、憲法を実質的には変えてしまったのだろうと思います。
大切なことは「法律」そのものではありません。
その「法律」もしくは「法律の変更」を議論するプロセスです。
そこで実状が明らかになり、問題が共有され、意見が交わされながら、さまざまな考えが吟味されながら、問題が解決され、未来が開けていくことです。
真剣な議論の結果、法律が不要になるのが理想のはずです。
しかし、どうも最近の日本は、法律の制定がなぜか先ず日程を決めてから進められるようになってきました。
法律をつくることが目的なのではないのです。
もし法律の制定を急ぐ人がいたら、その裏にはきっと大きな私利私欲がうごめいているのだろうと思います。
もう少しきちんとした議論をする仕組みが必要なように思えてなりません。
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