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2007/04/06

■2児拉致容疑事件と国家の暴力観の変質

近代国家を成り立たせている考えの根底には「暴力の独占」という考え方があります。
国家は国内の暴力を規制し管理する、暴力の独占主体になったことで、主権を確立したわけです。
秀吉は刀狩によって暴力手段を独占し、徳川幕府は私的な仇討ちを禁止し、暴力を管理しだしたわけです。
現在、そうした意味では、近代国家の存在はいささか危ういものになっていますが、逆にそうであればこそ、暴力の管理機関(ということは実施主体でもあるわけですが)としての国家が改めて必要になってきているという言い方もできるわけです。
「国家」とは「悪」を「正義」に変えるフィルターですから。

昨日、新聞で北朝鮮の2児拉致容疑事件が報道されました。1973年の事件です。
捜査が本格化されるそうですが、いまさらなぜ、という気がします。
しかし、国家による暴力の独占という視点から考えると、そうおかしなことでもないわけです。いや、それこそが国家の本質だといってもいいでしょう。

北朝鮮の拉致事件は、国家の行為による「正当な暴力行為」です。
ついでにいえば、偽ドル札づくりも、「正当な行為」かもしれません。
これはもう少しきちんと書かなければいけませんが。

最近の風潮は、しかし、その国家暴力への異議申し立てが、人権思想を背景に高まってきているということです。
このことは30年ほど前に、「21世紀は真心の時代」という小論で少しだけ書いたことがあります。
まだ状況認識は極めてあいまいでしたが。
そうした流れの中で、いま、北朝鮮の拉致問題が批判の対象になってきました。
つまり、国家が独占していた、暴力の正当性が揺らぎだしているのです。
大きな地殻変動の予兆を感じます。

ところで、2児拉致容疑事件問題ですが、おそらく事件発生当時から日本の当局は「事件」への疑いを持っていたでしょう。
しかし、そこに踏み込むべきかどうか、が議論されたのではないかと思います。
北朝鮮と同じように、日本という国家もまた「暴力」を独占していますから、それを「暴力」と認定するかどうかは考え方一つなのです。
言い替えれば、拉致行為も拉致への対処行為も、実は国家による暴力行為の裏表だということです。
そこを覆せるのは、個人の生活や人権思想に立った「人間の異議申し立て」活動です。
暴力を正当化する仕組みは、克服されなければいけません。
しかし、まだ1世紀はかかるでしょうか。
せめて「正当な暴力」への批判力は持続していきたいものです。

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