■冤罪事件報道で感じた恐怖
昨日のテレビ「報道ステーション」で、冤罪被害者の追跡調査の特集をやっていました。
報道ステーションのサイトから引用します。
2002年4月、富山県氷見市で、2件の婦女暴行事件に関わったとして当時34歳のタクシー運転手の男性が逮捕された。ところが出所後、別の事件で逮捕された容疑者がこの2件の事件について供述し、男性の冤罪が発覚したのだ。犯行現場に残された足跡に比べて男性の靴のサイズは明らかに小さく、さらには犯行の時間帯にアリバイがあったにもかかわらず、なぜ逮捕されたのか。そして、なぜ男性は自白に追い込まれたのか。当時の取調官に直接電話をかけ、問い詰める男性に独占密着。警察の杜撰な捜査の実態に迫る。
印象的だったのは、古館さんが心から怒っていたことでした。
私も感情を隠せない人間ですので、感情をあらわにする人が好きなのです。
古館さんの怒りは、そうした杜撰な処理をした警察、そして検察、さらには裁判に関わった人たちが、何の咎めもなく、今なお、冤罪被害者に非礼を重ねていることです。
この番組を見ていると、日本には公平な裁判はないのではないのかと思いますし、警察は暴力団以上に悪質な暴力団だと思わざるを得ません。暴力団でも、それなりに仁義があるでしょう。
しかし、私の周りにもとても誠実でまじめな警察官もいますし、弁護士もいます。
どうもそれがしっくりきません。
警察や裁判官たちが暴力団と同じだということは、ある意味では当然の話です。
彼らは暴力と人を裁く権限を法的に独占していますから、暴力団以上に暴力団になれるのです。両者がつながるのは当然の話です。
それにして、なぜこうした冤罪が繰り返し起こり、その冤罪に対して、常識的な対応ができないのでしょうか。
この2つは、実は深くつながっています。
企業の危機管理の歴史の中で、もはや常識になっていますが、危機に対する処理を間違っている限り、問題はなくなりません。
日本の企業や行政が繰り返し不祥事を起こすのは、それが犯罪だと認識されずに、しかもその処理がきちんと行われないからです。日本における企業不祥事も同じです。
冤罪を起こした警察官や検察官、弁護士が責任を問われない限り、冤罪はなくなりません。
今回の事件で、冤罪を意図的につくりあげた人たちは、免職ではなく、犯罪者として裁判にかけられるべきでしょう。しかも、少なくとも冤罪被害者よりは重罪にすべきです。
専門家とはそういうものでなければいけません。
裁判員制度などという無責任な制度を導入することができるのは、今の司法界の人たちに責任感も専門家意識もないからではないかと思います。
人の人生を狂わせておいて、心が痛まないような人が警察や司法界にいることが、とても恐ろしい気がします。
いや、そういう人でないと務まらないのが、司法界の真実かもしれません。
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コメント
今回の冤罪事件において、何が原因であったかを考えてみた。結局のところ捜査機関の横のつながり(県警及び警察署相互の情報交換、連絡体制など)が不備であった為に起きたと考えてよいであろう。
この事件の真犯人が明らかになった時点で、この情報を富山県警に連絡し、県警同士で話し合い、いかにしてこの冤罪事件を闇に葬るか、対策を講じていればこれ程大きな問題に発展しなかったであろう。
結局、警察同士の連携が不十分だったために、警察は己の面子を台無しにしてしまったのである。警察は今後、このようなミスを暴露され、世間から糾弾されることを防ぐためにも相互の連携を改善させるべきである。
投稿: 大谷日堂~神の毒舌を持つ男~ | 2007/06/02 18:56