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2007/05/11

■「親学」よりも「主権者学」が必要

チェチェンニュース(5月2日)に、

「侵攻」か「進攻」か?チェチェン紛争をめぐる各紙の視点
という記事がありました。
チェチェン紛争に対するロシアの行動に関して、マスコミの表現が違う話です。
朝日と毎日は「進攻」、読売と産経、それに日経は「侵攻」だそうです。
ではイラクの時はどうだったか。
2003年3月、米英軍がイラク領内に爆撃を開始したとき、朝日、毎日はこれを「侵攻」と呼び、読売、産経、日経は「進攻」と呼んで議論を巻き起こした。

と書かれています。
こうしたことの積み重ねが、私たちの意識に大きな影響を与えることはいうまでもありません。

どこから見るかによって、世界の風景は全く違ってきます。
事実はひとつでも、その事実が持つ意味はたくさんあります。
正しいか正しくないかの話ではありません。
しかし、そうしたことの積み重ねが歴史を分けていきます。
そして、自分にとって居心地の悪い社会に生きなければいけなくなるかもしれません。
そうならないために、しっかりした自分の視点で、世界の風景を見ていくようにしたいものです。自分だけの問題ではなく、同時代に生きる人たちや次に続く子どもたちに対して、「騙された罪」を犯すことになりかねません。

問題はチェチェンやイラクなのではありません。
私たちの身近にある問題についても、いま同じことが毎日起こっています。
言葉ではなく、その奥にある価値観を問いただすことが必要です。
言葉で操られる存在になっては、国民主権を定めた憲法が嘆くでしょう。

「親学」が問題になっていますが、「主権者学」こそが必要なのかもしれません。

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