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2007/05/28

■松岡農相の自殺

松岡農相の自殺のニュースは衝撃的でした。
家族の方々には、心よりお悔やみを申し上げます。
キャリアから考えると、充分予想されたはずですから、おそらく周辺の人たちはかなり注意していたのでしょうが、事前に食い止められなかったことは残念でなりません。
こうした事件が繰りかえされるのが本当にやりきれません。
しかもいま、政府は自殺対策基本法に取り組みだした矢先です。
政治家は範を示す立場にいます。
それが、なぜ食い止められなかったのか、しっかりと考える責任があります。
本当に哀しいことです。

石原都知事は、彼もサムライだったのだ、とコメントしていましたが、こうしたコメントが、自殺を礼賛していることに気づかないのでしょうか。
また、安倍首相にはしっかりとその責任を受け止めてほしいものです。

自らの生命を軽んずることは決して許されることではありません。
死者に鞭打つことは避けたいですが、殺害者は非難してもいいでしょう。
自殺者は死者であるとともに、殺人者でもあります。
生命は、たとえ自らの生命であろうとも、自らだけのものではありません。
生命はすべてつながっているのです。
一人の死は、決して当人だけでは完結しないのです。

しかし同時に、いわゆる殺人事件と同じように、実行犯だけではなく、その背後にある「殺害に追いやった多くの人たちや社会の仕組み」を見落としてはいけません。
実行犯だけを罪に問うのではなく、もっと大きな状況の中で事件は裁かれなければ、同じ事件が繰り返されます。
自殺に関しては、特にそうだと思います。
その認識と展望がなければ、自殺予防対策は難しいでしょう。
グランドデザインのない構想は実効性が乏しいものです。

もう政治家の死はなくしたいものです。
政治に透明性を持ち込めば、不条理な死はなくなるはずです。
政治家はそうしたことを自覚してほしいものです。
政治家の死は、政治の死にもつながることを理解してほしいものです。

松岡農相が抱え込んだ政治の「毒」を社会に公開したならば、松岡さんご自身の生命が失われなかったばかりでなく、政治の死も避けられたでしょう。
生物的に死ぬ前に、これまでの生き方のしがらみを捨てて素直に生き直せば、死に追いやられた状況を反転することができ、自らも、また自らが生きる社会も、甦らせることができるかもしれません。

自殺を実行する前に、まずはそれまでの生き方を捨てることに取り組んでほしいものです。
松岡さんには、その勇気を持ってほしかったです。
しかし、きっとそれ以上に追い詰められていたのでしょうね。
とても嫌な時代になってきているのかもしれません。

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