■過剰報道と過少報道
今の日本の社会を象徴しているのはマスコミ報道の内容です。
最近の新聞やテレビは、まさに「パンとサーカス」の世界を感じさせます。
会津若松で起こった17歳の母親殺人事件は、猟奇的であるためか、克明に報道されています。
果たしてこれほど詳しく報道する必要があるでしょうか。
こうした報道が次の事件を生んでいくのか、防止するのか、意見は分かれるでしょうが、私は間違いなく生んでいくと思います。
その可能性がわかると選択肢に入れてしまうのが、人間の常ですから。
そういう意味では、いまのマスコミは私にはこうした事件を生み出す共犯者のような感じがします。
どう考えても過剰報道です。
娘に、そういう話をしたら、大きな事件がないからではないかといわれました。
とんでもない、いま大きな事件は静かに進行しています。
1人2人の死の話ではなく、大勢の人の生死にかかわり、さらには社会の死に関わる事件、がです。
たとえば、国民投票法、正確には平和憲法廃止準備法が成立し、教育関連法、正確には教育管理手続法が成立しようとしています。
これによって、どれだけ多くの人が実際に死に追いやられることでしょうか。
国家がやることですから、犯罪にはならないのですが、
そこに未必の殺意もあると思いますので、論理的には犯罪とほとんどかわりません。
そうした、新法の意味や、それを成立させるための詳しい手口こそを、マスコミは報道すべきです。
そうした動きに対する反対活動の報道も、過少報道になっています。
パンとサーカスの後ろで、何が行われているのか、マスコミに報道してほしいものです。
マスコミにとって、読者や視聴者は市場でしかないのでしょうか。
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