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2007/05/01

■「いいことだけ日記に」騒動からの気づき

先週、朝日新聞に私の女房の投稿記事が掲載されました。
「いいことだけ日記に」というタイトルの小文です。
実は女房はいま闘病中なのですが、夫である私が「いいことだけを書く日記」を勧めたという、ただそれだけの話です。
ところが、その記事に気づいた友人が、あるメーリングリストにそのことを書き込んでしまいました。
そのメーリングリストは、「大きな福祉」をめざすNPO関係者のメーリングリストでしたから、その小論は話題を呼びました。
たくさんの方々がメールを送ってきてくださいました。

入院中の女房に、それらをプリントアウトして毎日届けています。
なかには自分も同じ病気であることを告白する衝撃的なメールもありました。
その女性と女房は面識はないのですが、そのメールのやり取りで、心がつながっていくのがわかります。
しかも女房は、ケアされながらケアする立場に変われるのです。
つながりやコミュニケーションとは、こういうことなのだと目が開かれました。

ところが、送られてくるメールを読んでいて気づいたことがあります。
ほとんどすべてが女性なのです。
そして男性に関しては、3人を除いて、他はみんな闘病中の人なのです。
これは偶然でしょうか。
そうではないでしょう。
コミュニケーションを求めているのは、女性も含めて、社会の中心から外れたところにいる人たちなのです。

新聞を読んで、電話してきた女房の友人も少なくありません。
女房が一番感激したのは、20年前、ある趣味の教室で数か月一緒だった人から突然電話がかかってきたことでした。
女房よりもひとまわり年上の女性ですが、よくまあ電話番号を残していて、しかも電話してきてくれたものです。
しかも、女房はいま入院中なのですが、一時外出が許可されたわずか数時間の間に、その電話はかかってきました。

結論がとびますが、この投稿記事騒動で、日本の文化の根底は、女性たちの人生的なつながりや痛みを持った人たちのやわらかなつながりがしっかりとあったことを改めて確信しました。
そのつながりが、日本の文化のしたたかさとしなやかさを支えていたのです。
それが、いま壊されようとしています。
「痛みを分かち合う」社会だった日本の社会は、「痛みを分かち合おう」という言葉に踊らされて、痛みを押し付けあう社会になろうとしているのです。
共済文化つぶしも拝金主義による働く楽しみ奪いも学力テストによる学びの場こわしも、すべてそうしたベクトルで動いているように思えてなりません。

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社会時評」カテゴリの記事

コメント

佐藤さん

こんにちは。

特に今病気はなく、男性である私も、自宅で記事を拝見して、感動していた一人です。

そこで、もうひとつの解釈について、考えてみました。

私も、実はMLでは、反応をあえてしませんでした。
多忙でもありますが、エチケットとも、私は思っていました。

ですが「日本の文化の根底は、女性たちの人生的なつながりや痛みを持った人たちのやわらかなつながりがしっかりとあったことを改めて確信」に共鳴します。

女性を粗末にする企業や文化は、結果、滅んでいきます。

自動車開発や国土開発は、主に男たちの仕事でしたが、もし早期から、これらの仕事に女性たちが参加できていたら、かくも地球温暖化は進まなかったのではと、残念にさえ思っております。

話は外れましたが、奥様と佐藤さんのご様子を、私も一喜一憂しつつ、応援しております。

投稿: 田辺 大 | 2007/05/03 00:17

田辺さん
ありがとうございました。

女性の件、同感です。
私は会社時代から、同じように考えていました。
女性が元気かどうかが、私の会社を見る評価基準のひとつでした。
私が会社に入った時、私の会社は女性をとても大切にしていました。
しかし、その「大切にする仕方」が、私には違和感がありました。
それが、そう思い出すきっかけでした。

つながりを壊す社会から、
つながりを育てる社会に戻していくために、
改めて私たちは女性の生き方から学ぶべきですね。
ただ心配は、
最近の女性の生き方が変わりだしてきていることです。
女性が少なくなってきたような気がしてなりません。

最後はちょっと問題発言ですね。

投稿: 佐藤修 | 2007/05/03 07:11

佐藤様

ご無沙汰しています、野原こと福満です。

最後はちょっと問題発言?

人によったらそうとられちゃうかもしれませんが、
そんな揚げ足取りなこと、おかしいですよね。

戦後日本の「男社会」つまり、「競争社会」で同等に戦い、勝ち組になれることが、
女性も人として同格に扱われること、と多くの人が勘違いしているように私も思います。

結果、「人」として暮らすに大切なことをたくさん捨ててしまった。
「育む」ということもそのひとつではないでしょうか。


追伸:
MLも拝読しました。
私のような者も佐藤さんと皆さんのやり取りでケアされたような思いです。
最初に新聞に投稿されたお連れ合いさんに感謝しています。
お二人が、これからも健やかなお気持ちで毎日を過ごされますように。

投稿: 野原みずえ | 2007/05/04 22:13

福満さん
ありがとうございます。

>「人」として暮らすに大切なことをたくさん捨ててしまった。

自分自身の行動を振り返ると、そういうことが今でもあることに気づかされます。
もっと素直に、シンプルに生きられるといいですね。

追伸は女房にも伝えます。
連休は外泊が認められ、自宅で過ごしています。
元気がまた戻ってきました。

投稿: 佐藤修 | 2007/05/05 06:31

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