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2007/05/31

■文化とは、一体何でしょうか?

昨日の記事に出てきた、地方に転居した友人というのは大分県国見町の竹沢孝子さんです。
先月、東京に来たのでお会いしましたが、見事な百姓暮らしをしています。
農民ではありません。百姓です。まあ、私の勝手な定義なのですが。
彼女のブログがあります。これも以前、私のホームページ(CWSコモンズ)で紹介しましたが、竹沢さんの思考や行動の一部が、前後の脈絡なく唐突に現出するブログなので、ついていくのが大変ですが、面白いメッセージが書かれています。
よかったら読んでみてください

そのブログで次のような問いかけがありました。
正確な問いかけの文章はブログを読んでください。
以下はその中の文章をつなぎ合わせたものでしかありませんので。

「文化は辺境にある」と最初に教えてくださったのは、鶴見俊輔さんでした。
すると、ここには文化が残っているのでしょうか? 
文化とは、一体何でしょうか? 
どうぞ、教えてください。

竹沢さんが私に問いかけているのが感じられたのですが、こんな問題に簡単に答えられるはずがありません。
放置していたのですが、竹沢さんからまたメールも来たので、ついつい答えてしまいました。
文化の問題はもっと考えなければいけないテーマだと、私も思っています。
なぜならいまや文化は死に絶えそうになっているような気がするからです。
そんなことはない、文化はますます高まっているといわれそうですが、私の生活の周りにはあまり文化のにおいがしません。
私の生き方が、文化的ではないのでしょうが。

文化とは何か。
悩ましい問題ですが、私はこう考えています。
文化とは、ある集団のメンバーに共有されている生き方で、変化する「生きたもの」。
それが制度化されたのが文明。
「文化鍋、文化包丁、文化住宅」は、その過程にある、文化の残渣、あるいは死んだ文化の象徴。
「文化」は言葉にした途端に、その生き生きしたダイナミズムを失いだすのだと思います。
文化は辺境、もしくは周縁にあるのは、一種のトートロジーで、制度化された死んだ文化の中心が、これまでの社会認識の底流にありましたから、そうなってしまうわけです。
視点を変えれば、東京などはまさに文化の辺境なのです。
統治者たちの視点で、私たちは歴史や社会を見ていますから、そうなってしまうわけです。
というのが、私の考えです。

以上は竹沢さんのブログにコメントしたものを少し変えただけのものです。
私が「文化は死に絶えそうになっている」と感ずるのは、文化が商業化されているからです。
いま広がっているのは、「文化鍋」レベルの文化のような気がします。
「文化」という言葉もまた、浪費されてきているように思います。
最近の都心再開発地域のおぞましさは、私には息が詰まります。
新しい文化住宅でしかなく、経済遺跡にはなっても、世界遺産にはならないでしょう。
売り物にされた文化やアートは、私には退屈です。
もちろん文明として受け止めれば、それなりの魅力はありますが、
あんな街に住んでいたら人間もまた死んでしまうのではないかと不安になるのです。
モヘンジョダロを思い出させます。
そうした、都会での文化の死が、地方にも広がっているような不安があります。

私の誤認であればいいのですが。

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